2015年1月26日月曜日

不可思議


きょうは冷たい雨ですね。
まだまだ寒い日が続きますが、
みなさまお元気していらっしゃいますでしょうか?

今年はとても大きな(A4)サイズの手帳をつかっていて、
そこに何でも書いてしまうので、twitterや顔本など、
SNSに書き込む時間があまりなくて、ブログもさっぱりご無沙汰なのですが、
わたしは相変わらず、割と元気に過ごさせてもらっております。


大阪に帰ってから、たくさんのひとたちにお会いして、
また、直接会えないひととは、電話で声を聞きあって、
いろいろなところに行き、いろいろなお話をさせてもらい、
とても充実した毎日を過ごさせてもらっています。

九州を旅立つその日も、たいせつな出来事がありました。
誰かの気持ちを、使命にして、
こころにとどめておくことのたいせつさを、
身をもって、学ばせてもらいました。

そうして、夜、眠る前に、思ったこと、感じたこと、
その日どんなことがあったかを、ていねいに文字におとす。

じぶんのために、文字を書くこと。
他人が介入しない世界で、自分と対話すること。
ずっと挑戦してみたかったことなので、
とても貴重に思っています。

ブログ更新の頻度は低いですが、
おかげさまで、たいせつな日々を、送っています。


突然ですが、お知らせがあります。
何日か前に、twitterなどでもお知らせさせてもらったのですが、
来月、人生で初めて、
ひとりきりでステージに立たせてもらうことになりました。

現在は東京に拠点を移して音楽活動中の、
“とかげのわかば”改め、“影野わかば”さんの企画です。
新しい音源『夕陽だった』の発売記念のワンマンイベントなのですが、
恐れ多くも、ゲスト出演という扱いで、演奏させていただきます。

初ライブなのに、だいじょうぶかなあ…。
もしお時間よろしければ、応援しにきてくださると、とてもうれしいです。

2月14日の土曜日(ん?なにかの日だな)、
道頓堀かつおの遊び場で、お待ちしております。
(事前にご予約いただけましたら、日付にちなんだプレゼントをご用意しておきます)

わかばさんの新譜には、ワニのいる生活として、
西岡君といっしょに2曲参加させていただいております。
そして音源のミックス・マスタリング(総仕上げをする役割のひと)は、
なんと、ワニでも『風邪』という曲でお世話になった、徳永輝くんです。
輝くんは、東京で活動中のバンド・テジナのエンジニアさんとしても活躍されています。

まだ聴かずとも、きっといい作品になっていること、まちがいなしです。
はやく聴きたいなあ、とてもたのしみ。

そしてライブの日は、もしかしたら、
わかばさんといっしょに何曲か歌わせてもらうかもしれません。
力量は、言わずもがなの、差がありますが、
いっしょうけんめい、うたいます。


人前でギターを弾いてうたをうたうのは、何年ぶりでしょうか。
ギターは、わたしの、どろどろとしたこころのありのままを、
すべて受け止めてくれるので、おそらく、
「ワニのいる生活 なす子」のイメージからは、
ずいぶんと、正反対の場所にいるように、感じます。

決して、明るくて、たのしくて、
元気になるような音楽ではないことを、お断りしておきます。

どちらかというと、昔やっていた、
「桜重奏サーティーン 升あけみ」の、
音楽性を想像していただくほうがいいかもしれません。
そこまで暗くないけれど、もっと濃いかんじ。

怖いもの見たさでいらしてくださっても、かまいませんが、
「ワニのいる生活 なす子」でもなく、
「桜重奏サーティーン 升あけみ」でもない、
いまのわたしの歌を、聴きにきてくださると、うれしく思います。

もちろん、演奏する曲は、わたしのほんの一部分なので、
また違った雰囲気の曲も、いずれお耳に入れられればと思います。

いまはじぶんのことで、せいいっぱいですが。
身の回りのことをととのえて、落ち着いたら、
すこしずつ、かたちにしていくつもりです。
そちらもどうぞ、たのしみにしていてくださいね。


もうひとつお知らせがあって、
これはほんとうに、予定は未定なのですが、
あたたかくなったら、大阪をはなれて、
いろいろなところへ、行こうと思います。

音楽をとおしてご縁を結ばせてもらった、すてきなみなさまへ、
いままでありがとう、これからもどうぞよろしくね、
と、云うため、みんなに会いにいく、そんな旅です。

しばらくは東のほう、それから、また北のほうへも、行けるといいな。
もしタイミングよくお会いできる機会がありましたら、
どうぞ遊んでやってくださると、幸いです。


最近は、叶えたい夢があるから。
だれかの笑顔に会うために、
一分一秒も無駄にしないようにこころがけている。
それでも、いままでになく、自由。

既成の概念をぶっとばす。
そんなひとがそばにいるから、
わたしは自由。とても自由。

あなたにも、いつか会いにいけるといいな。


2015年1月5日月曜日

春の小夜



小倉の家で、祖父と過ごす、最後の夜です。

大晦日から明日までの一週間を九州で過ごしているのですが、
毎日、気付いたり、思い知ったりすることの連続で、
想像していたよりもはるかに実の詰まった日々でした。

思うことがたくさんありすぎて、
いまはまだ言葉にできないです。
そしてたぶん、きっと、
言葉にする必要もないのかな、と思います。

じぶんのすべてをつかって感じたことを、
じぶんの人生に生かしていく。

今年の幕開けを、ここで過ごすことができて、
ほんとうによかった。
それだけです。


あした、大阪に帰ります。
大阪の排気ガスも大概だけれど、
花粉情報のようにさらりと天気予報でPM2.5の情報が流れる、
北九州は、そんな土地です。
地図で見たら、中国、ほんとに近いもんね。おとなりさんだもんね。
祖父は肺が弱いので、心配です。

帰ったら、すこし走ろうと思います。
運動不足を解消するために、散歩と言って外出すると、
退屈で外出したのではないかと祖父が心配して電話してくるので、
(それでも一応、祖父が横になって休んでいるタイミングを狙っている)
走ったり、身体を動かしたりするのは、大阪でもできることなので、断念しました。

とても思いやりがあって、やさしい祖父。
祖母との愛らしいやりとりに、
幾度、こころを癒されたことか、と思います。


中学生の時に両親が別居して以来、
十年間、父方の親族とはほぼ交流がなくて、
このままじゃいけないと思い立ち、父と姉と一緒に帰省したのが三年前でした。

その次の年も、父と二人で帰省をして、
年賀状を出し合ったり、小包を届け合ったりして、
ああ、こうやってすこしずつ、
会えなかった時間を取り戻すことができればいいなあと、
そう思っていた矢先に、祖父に癌が見つかったのが今年の春でした。

悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
いまでも、わたしには何ができるのか、わからない。
こうやって、となりで日々を過ごしても、その答えは見つからないままです。

ひとりで祖父母の面倒を見ている叔母も、ほんとうに、大変だと思います。
もう何十年も、祖父母のそばで生きてきたひとです。
それはもう、頭が上がらないほどの、すごいことだと思います。

祖父母と叔母を見ていて、わたしも、
じぶんの両親が老いたときのことを考えるようになりました。
そういう心の準備というか、覚悟ができたのも、
今回帰省して得たことだと思います。

じぶんのルーツに想いを馳せたり、
これからの生き方や先の人生を考えたりと、
ここでしかできない体験ができて、ほんとうに、よかったです。


今年は、沈黙するということを、おぼえよう。
知る、ということを、もういちど、おぼえよう。
知性と静謐。
それがこころのキーワードです。

ただ、行動する、という点に関しては、
ことしは、やりたいことをなんでもやってみる、
そして、まず、じぶんの力でやってみる、
というのがキーワードかなと、思います。

具体的なことは、また改めてお知らせしていくかと思います。
二月の中ごろに、そのひとつがもう、決まっている。
気負いすぎず、自然体で、いられますよう。


きょうは長くなってしまった。
また大阪に帰ったら、お会いしましょう。
読んでくださって、ありがとう。
おやすみなさい。


2015年1月3日土曜日

白鳥の湖



知らない世界へ、
はいってみたいなと思います。


きのうは朝から、裏山に登ってみました。
雪がちらちらと降っていて、きのう積もった雪もまだ残っていて、
坂道が急なので滑りそうですこし怖かったですが、
上の山道まで登ると景色がよくて気持ちがよかった。

運動不足なのにたくさん食べているので、
じぶんのからだがとても重く感じます。
きょうもお買いものくらいしか、出歩いていないなあ。
あしたはもうすこし運動しよう。あんまり寒くないといいな。

じぶんの家にはテレビがないので、めったなことではテレビを観ないのですが
大晦日から4日間で、去年1年間でも見なかった量のテレビを観ています。
元日はニューイヤー駅伝、きのうときょうは、箱根の駅伝。
祖父がスポーツマンなので、基本的にスポーツ関連のテレビしか観ないのですが、
涙を誘うナレーションや番組構成に、まんまとひっかかっています。

きょうは叔母といっしょにお買いものに出かけて、
夜ごはんをいっしょに作りました。
わたしの母の話を聞いたり、祖母に味見をしてもらったり。
すごく些細なことが、たいせつに思います。


なんだかほんとうに、思うことがいろいろあって不思議。
こんなにもたくさんのことを、感じたり、知ったり、思ったり、
そしてそれをゆっくり咀嚼できていることが奇跡のように思う。

はやく感じたことについて、誰かと話したい。
海外から、はやくお友だちが帰ってきますように。


2015年1月1日木曜日

山鳩が死んでいる



新年あけましておめでとうございます。
みなさま、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?

わたしは北九州は小倉に帰省してあたらしい年を迎えました。
大晦日の夜からとても冷えて、今朝は雪のお正月でした。
テレビを見ながら諸事を片付けたり、
雪の降る中、年賀状を出しに行ったりして、
のんびりと過ごさせてもらっています。

余命幾許ない祖父と、
いっしょに過ごすのが最後になるかも知れないお正月。
いろいろ思うところがあります。

家族の関係性、親を想う気持ち、
じぶんのまわりの人々だったり、
とてもいろんな気付きが、たくさんあります。
漠然と、何年もかけて、理解していくのだろうな、
と思うことも、とてもたくさんあります。

善悪だけでは解釈できないものごと。
既成の概念に規制されていては見えないこと。

じぶんはなにを、えらんでいくのだろう。
どんな人生を、あゆんでいくのだろう。

まだまだ、これからだなあ、という気持ちが強いです。

当たり前のことなんだけれど、
ご先祖様や血のつながりは、
ほんとうにたいせつにしなくては、と改めて思った。

いままではそんなこと、とくに思わなかったのですが、
今回帰省して、いろいろなものを見て、
じぶんの視点が変わってきているのをすごく感じる。
容量がふえた、というか、想像力がついた、というか、
あたらしいものの考え方ができることが多いです。

それは、ほんのすこしの、
気持ちの余裕からくるものなのかもしれない。


すこしずつ、変わろうとしています。
それはじぶんがこころから望んでいること。

ありがたく受け止めて、しっかり咀嚼して、
血と肉と骨にさせましょう。


それで思い出しましたが、
今年からものすごく、健康志向で過ごそうと思っています。
大阪に戻ったら青汁を飲む予定だし、
毎週運動することにしているし、
じつは九州に、ランニングシューズも持ってきている。

そして、昨年末くらいから、
お化粧をあまりしないで、ほぼすっぴんでいるようにしています。
昨年あまりにも肌荒れがひどく、その痕がたくさん残っているのですが、
こころのどこかで、お化粧をしたら隠れるし、と慢心している部分があり、
そのせいで、いつまでも素肌がきれいにならないのでは?
と思ってのことです。

夏くらいには、ファンデーションなしの肌になれたらいいなあ。
うん、まだ22時くらいだけれど、もうそろそろ寝ようかな。
(もちろん、お肌のために!)

ブログも、毎日は無理かもしれないけれど、
帰省中の間くらいは、なるべく更新したいと思っています。

いままで得たものをたいせつにしながら、
つぎの形へ昇華させられるような、そんな一年になると思う。
わくわくすることの種は、あたためはじめている。
はやく、春になって、花を咲かせられることが、できますように。

不束者ですが、
末永く、あたたかく見守っていてくださると幸いです。


本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。