2015年11月24日火曜日

零余子



前回のブログ、おサボりしちゃってごめんなさい。
変な人に絡まれて警察沙汰になって精神的に参っていたのと、週末にライブがあったのが重なってしまって、一回お休みさせてもらいましたー。
思い返せば、病み上がりの割に、なかなかハードな数日間だったなあ。


変な人の件は、周囲に報告をして説明し飽きたので割愛しますが、なんと驚くことに、この文章を書いているこの瞬間も、隣のマンションで騒ぎを起こして警察が来ているみたいです。
言い争いの声も続いています。あ、いまやっと落ち着いたかな?

直接変なことをされたり、暴力を振るわれたりした訳じゃないんだけれど、「クスリやってるやろ」だのなんだの、あることないこと言われたりして非常に怖かったです。
結局のところは、精神疾患を持っている方だったらしくて、あまり相手にしないほうがいい、と言われました。
いまもだけれど、しょっちゅう、同じマンションの他の人とも喧嘩したりしてるのかな?絡まれた数日前も、真夜中に警察が来ていたし、毎日のように、言い争う声が聞こえている。
電磁波が飛ぶから、お家のブレーカーを落としてるんだって。


いろんな人にこの話を聞いてもらって、逆にもっと怖い思いをした話を聞かせてもらったりして恐怖も薄れ、ちょっとずつ落ち着きました。
そういう人と向き合って、傷つけられた人も身近にいるということを、忘れてはいけない。

そしてこの件については、ただ怖い目に遭ったというだけで済まされない、いろんな物事の見解を示唆されているような気がして、深く考えすぎてしまいそうになっていたんだけれど。
敢えて、ただ怖い目に遭った、それだけで済ませてしまおうと思います。
そう思うことで、楽になれるのなら、そう思っていよう、と。

もう、必要以上に深刻に考えるのはよそうと思う。
そこから何が生まれる?過去は変えられる?
答えはノーだ。
変えられることができるのはただひとつ、過去と向き合う、いまの自分だけ。
だから屈しない。つらい気持ちにも、いやな考え方にも。

終わったことは、終わったことだから。
いまの私には、未来が待っているから。
そうやって、何度も何度も自分自身につよく言い聞かせないと、ほんとうに、急に、わーっと、叫びだしたくなるときがある。

そういうとき、みんなどうしているんだろうね?
ちなみに私は今日、お仕事をしながら攻略法を思いつきました。

とりあえず、叫びだしたくなるようなときは、頭の中で、思い切り叫んでみましょう。
でも、それにはコツがあって、わー、って叫ぶんじゃなくて、ガオー、とか、パオーン、とか、ニャオー、とか、動物の鳴き声で叫びます。
ほかにも、ピョリー、とか、ギョヘー、とか、ピギャー、とか、ちょっとコミカルな感じの叫び声を、作り出してみる。

そうすると、いやな気持ちになって叫びだしたくなったはずなのに、なんだかちょっぴり、なごみます。
これは、とても平和で、いいと思う。

そして、わー、っとなった日は、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、ゆっくりお風呂に入ったり、いい匂いのキャンドルを焚いたりして、ちょっぴり自分を甘やかしましょう。
眠る前には、大好きなひとたちのことを考えましょう。
ちょっと恥ずかしいけど、お人形と一緒に眠るのも、いいかも。

なんだかメルヘンな結末になってしまったけれど、自分が心地よく落ち着くこと、自分が好きなことを知っておくことって、すごく大事なんじゃないかな?と思いました。

あと、悪いイメージに引き込まれそうになったときに、「大丈夫!私はこれくらいじゃ負けない!」って、自分を信じることも、すごく大事な気がします。
なかなか、ひとつのことを思い続けるのは、難しいんだけれど。
紙に書いて目に見えるところに貼ったり、何度も何度も思い返すことは、ほんとうに大事。

誰でも一瞬は、明るい気持ちになったり、前向きになったり、するものだけれど、明るい気持ちでいつづけたり、前向きでいつづけることは、ものすごーく、むずかしい。
暗い気持ちになったり、後ろ向きになるのは、こんなにもラクチンなのにね。笑


でも、ここで負けちゃいけないんです。
ぜったいに、負けちゃいけない。
それは出会ったすべての人たちや、すべての物事への最大の冒涜だと思っている。
生きて生きて、生き続けるんです。
精神異常になろうと、どんなに大切なひとを失おうと。

西村っちのことを想ったら、ぜったいに、生きていたほうがいいと思った。
毎朝、何のためにお線香上げてるんだろう。

しっかりするんだよ、じぶん。
こんなもんじゃ、ないでしょう?



ですってさ。
思ったより内省的な内容になってしまった…。
こんなの誰が喜ぶんだ…。

あ、zoozooseeのライブ、とっても楽しかったです。
寒いのにたくさんの人が観に来てくださって、そして久しぶりにお会いできる人ばかりで、とてもとてもうれしかったです。

ワニのときから応援してくださって、ライブにも何度も足を運んでくださっている職場の先輩から、「アンタ途中で息切れてたやろ」という鋭い指摘を受け、体力の低下を嘆きつつ、演奏を安定させるために、あんなに、あんなに、座って弾こうと思っていたのに。
やっぱり途中で(ほぼ最初から)立って演奏してしまった。

だって楽しかったんだもーん。
まったくのお耳汚しをしてしまって、申し訳ありませんでした。

でも、死ぬほど気持ちよかった。
暗闇のなかで他のメンバーと目が合うのが心地よかったし、音圧が生み出す、形容しがたい迫力とパワーが堪らなかった。
一曲が二時間のセックスにも負けず劣らずの気持ちよさ(と体力の消耗さ)。
六曲やったから、出来れば、息切れもゆるしてほしいです。

つぎは来年の2月28日に、扇町パラダイスというところでライブが決まっています。
4人でも、ステージに納まるのがやっとの狭さなのに、5人で、しかもキーボードもあるよ…だいじょうぶかしら。


今週も楽しみなことが盛りだくさん、金土日と遊びまくりまーす!
そうしていたらあっという間に楽しみな十二月。
わざと、楽しみにしないようにしている。
なーんてね!


急に寒さが厳しくなってきたので、皆様もどうぞご自愛ください。


2015年11月18日水曜日

ノルウェイの森



・風邪のこと

すっかり風邪をこじらせています。
きょうは冷たい雨、いまも夜が深まるにつれて冷えが忍び寄って、
饂飩であたたまった身体が敗けそうになる。
おまけに姉にまでウィルスが猛威を振るっているようで、咽喉の痛みを訴えつつ、
「低い声出る~!!」と嬉々としてゴスペラーズの低音担当・北山さんの真似をして遊んでいます。元気。

わたしは一年に一度くらいしか風邪をひかないので、どうもいまひとつ風邪の治し方、というものがわからないまま三十年近く生きています。
風邪をひくと長引かせてしまうのも特徴です。
りゅうちゃんなんて、身体が弱くてしょっちゅう風邪をひいているのに、すぐに治るというのが不思議でたまらない。
とにかく週末のライブまでには何とか調子を戻したいと思います。


・ライブのこと

今週末、11月21日の土曜日は難波ベアーズでライブです。
zoozooseeという、キーボードで参加させてもらっているバンド。
今回はベースがちはるくんになってからはじめてのライブになります。
ひさしぶりに、もすボード(ワニでずっと使わせてもらっていた、もすちゃんのキーボード)を弾けるのがうれしい。
ベアーズのみなさまにもお会いできるのがうれしい。
暗闇のなか、どんな風景に出会えるのか、とてもたのしみです。

もしご興味ありましたら、ぜひ遊びに、会いにきてやってくださいね。
出番は20時以降になるかと思います。
よろしくお願いします。


・ひとに会うこと

思わぬところで、会いたかったひとにお会いすることができました。
ライブをしなくなってから会えなくなったひとがあまりにもたくさんいて、時々、懐かしく恋しく思っています。
みんな、どうしているのかな、お元気にしているのかな、と、遠くの友だちを想うように。

でも、正直にいうと、どういう距離感で接すればいいのか、わからなくて戸惑っている部分が大きい。
プライベートでお会いしたいな、と思うこともあるけれど、すべてのひとたちとそういうことが出来るわけではないし、へんな部分でシャイなので、勇気がなかったり、ステージに立っていない人間がそんなふうに接するなんて失礼かなと思ったりで、この一年はこちらから積極的に連絡をとることはなかったのですが。
きょう、ワニを応援してくださっていた方とすこしお話をさせてもらって、プライベートでも、遊びに行きましょう、と言ってくださって、とてもうれしかったです。

今年は自分のことに集中しすぎて、あまりきちんと気持ちを伝える機会がなかったけれど、応援してくださったみなさまにいただいたものは、いつでも胸にたくさん秘めています。
いただいたものを大切に使わせてもらったり、いただいたお手紙を読み返したりして、いつも元気をもらっています。
触れるだけで、こころがとてもあたたかくなる。

そういった、いただいたもの、してもらったこと、たくさんの笑顔の記憶は、これから先、一生なくなるものじゃないと信じています。
ほんとうにたくさんのことがありました。
音楽の活動を通して出会えたひとたちと、共有できた時間や感情や、残すことのできた作品、行った場所や目にした景色、起こったさまざまなこと。

それらすべてを、そしてそのときの自分を、ただありのままに、受け入れて、認めること。
はっきりと気持ちに整理をつけること。
それが出来ないと、次に進めない、と思っていたのですが、最近はそうでもないのかもしれない、と、思い始めています。

次に進むのではなくて、もう、たぶん、次に進んでいる。
そして次に進むことは、過去にさよならをすることではなくて、過去にさよならをするということからも、さよならをすること。
自由になりたいと思うこころからも、自由になること。
なんとなく、そう感じています。

だからって、どこに行きたいとか、どうしたいとかは、まだちょっとはっきりできない。
冬だけど、からだを固くさせすぎずに、自分で自分にOKを出す、ということにも、もうすこしだけ、慣れて行きたいです。


最近読んだ村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』から、じぶんのこころにすとん、と落ちてくる一文があったのでいあったので引用します。

「ねえ、つくる、私たちが私たちであったことは決して無駄ではなかったんだよ」

誰に対しても、何に対しても、いまこの時間に対しても。
いちばんは、自分に対して、そういう気持ちでいたいと思う。


なんとなく暗くなってしまったのは、冷たい雨と、村上春樹のせいにしておこう。
ところで上巻の三分の二まで読んで、ぜったい読んだことあると思うんだけれど、結末が思い出せない…。
そして下巻の読み始めは読んだ覚えがないという不思議。

はやく最後まで読みたい。
(編み物もしたいし誕生日プレゼントも買いに行きたい)

はやく風邪が治りますように。
みなさまもどうぞお気をつけて。


2015年11月13日金曜日

黒い靴



不思議なことに、わたしたちは共通して写真写りがとても悪い。
きょうのような暗闇の中では仕方ないのかも知れないけれど。
あなたは時計のねじを巻く。
だけれども、左腕の月は、止まったまんまだ。

突然のサプライズにわたしのほうが興奮して、あなたがロウソクの火に息を吹きかけるところを目撃し忘れてしまった。
たった一枚、うまく撮れた写真は、あなたの何をも写し出せていない。
ただ笑顔のひとが、そこに、いるだけ。


時々、ほんとうに時々、あなたがいなくなることを考える。
もしあなたが死んでしまったら。
誰がわたしに知らせてくれるのだろうか?
長年連れ添ったひとは、どんなひとなのだろう。
犬なんて飼ったことがないけれど、わたしが引き取らせてねと約束をしている。
そんな未来なんて来ないことを願っている。

いつも、いつでも、
わたしはわたしのまわりの世界に取り残されてここにいるような気になる。
選んだはずの未来に巡り合えたなら、ここがわたしのいるべき場所なのだとずっと言い聞かせてきたけれど、どこに行っても、だれと会っても、わたしはどこにもいないような気になる。

それでもあなたは、わたしを求める。
わたしもずっと、あなたを求める。
もう、何年も何年も、それを続けている。
そしてこの先もそうであってほしいと思う。

ただ、静かに均衡は崩れつつあるのかもしれない。
わたしにはどうすることもできない。
この選択が正しいかどうか査定する術も持たないでいる。

後ろめたさなどない。卑屈にも成りきれない。
彼女たちとわたしの違いなど羅列すれば何時間かかるだろう。
そういう存在との比較対象な訳ではないと知っている。


わたしは一体、何なんだろう。
わたしに何の価値があるのだろう。

不思議な気持ち。
悲しいのとは違う。虚しいのとも違う。
ただ、不思議だなあと、思うだけ。
この幸福をただ享受するだけでいいのかという、焦りにすこし似た感情。


この靴を履けばあなたにあえるのか。
それなら毎日でもいい。ほかの靴なんていらない。
切なくはない。苦しくもない。
わたしは毎日、黒い靴を履き続けるだろう。


一度だけ、乗り換えの駅で、あなたの住む街に降り立ったことがある。
恋しているみたいな気持ちになったのも、きっと若さ故。

幾度とない夜を通り越えても、あなたの手元に、わたしの痕跡は何も残らない。
わたしには、幸運の扉を開く鍵と、一緒に過ごした記憶だけが残る。

ほかに何もいらない。
同じ目線で好きな歌を歌って、交わした視線を何より大切に胸にしまっておきたいだけ。
初めて会った日のこと、そのときの緊張をまだ覚えているから。


来年の五月は是非、時計のねじを巻きに東京へ行きましょう。
その回数を数えたりはしないから、どうか、のこりのわずかな時間、もっと一緒に過ごせますように。


2015年11月9日月曜日

告白



きょうはとても生ぬるい感触の空気で、なんだかまだ秋の終わりのような、春のはじまりのような、冬なんて知らんぷりして季節が通り過ぎてしまったような、そんな気候でした。
雨もまるで冬に降る雨とは思えないほどやさしい温度で、不思議な心持になった。

あちこち探しまわって、沢山悩んだ甲斐もあり、やっとこさ靴を買いました。
①たくさん歩けて
②素材が良くて
③長年飽きないデザインのもの
という、我儘満載な条件をすべてクリアした革靴。
悩みに悩んだ甲斐あって、とても可愛く思っている。はやくソールを貼り付けて、外に出たい。
今夜は枕元に置いて一緒に眠りたいと思います。

靴は気に入るものを見付けるのにいつも非常に苦労するんだけれど、気に入ったら割と長い間履くほうだと思います。
冬支度のために出してきた黒い革のロングブーツも、もうかれこれ七、八年近く履いている。
あの時も買うまでにうんうん悩んだなあ。

下北沢に住む友人宅に泊めてもらったときに、革のお手入れの方法を教えてもらってから、革製品を育てることが楽しくなって、シーズンの初めと終わりはわくわくしながらお手入れをしています。
何年かして靴底と生地の間が剥がれてきてしまって、毎年修理をしながら履いているけれど、さすがにそろそろ底がすり減ってきました。
だいぶ革も伸びてきたし、すこしひび割れが気になるので、ブーツも二代目を探してもいいかもしれない。

たくさん思い出の染み込んだ大切なブーツなので、限界まで履き潰したい。
まだもうすこし、一緒にいろんなところに行こうね。


数日前に、云わなくてもいいことを人に云ってしまって、すごく落ち込んだ。
ちょうど昔描いた絵や日記やなんやらを片付けていて、なんとなく目を通していたら、ちょうど十年前の日記が出てきて、その頃となんにも変っていない気がして悲しくなった。
あそこまで無茶苦茶じゃないとは思うけれど、同じことをいつまで繰り返すのだろう、と。

本当に、死ぬまで、変わらないのだろうか?
同じように大切なひとを、自分の手で、失ってしまうのだろうか?

そう思ったときに、もう誰も失いたくないと思っている自分がいることに気付いた。
こんなにも、何もかもを手放して、真っ白になりたいと、強く思っているのに。
でもこれは、別方向に引っ張って私を引き裂くような、相反する感情ではなくて、うまくいえないけれど、生きたいのと死にたいのが同じ、という、もともとはひとつの意志にから生まれるもののような気がします。

結局のところ、どちらも執着の表れなのかしら。
大体に於いて、他者への関心があるときは、自分から逃げているときのような気がする。

もっと深く自分の中へ潜っていきたい。
ひとりになりたい。もっと、ひとりでいたい。
でも、ひとりでいたくない気持ちも、おなじくらいこころを支配している。
できれば、その両方を認めてあげたい。
不器用な自分のことも、立ち止まっている自分のことも。


十月の週末に描いていた、鉛筆のほうの絵が完成しました。
仲の良い友達を勝手にモデルにして模写をしていて、思った以上に本人に似てしまったので一応本人に報告したら、SNSのアイコンに使ってくれたみたいです。
はずかしいやら、うれしいやら、描いた絵を使ってもらう、って、こんな気持ちなんだなあ。


個人的には首の血管と掌の皺を描くのがたのしかったです。
つぎは植物を描く予定です。
人魚の絵も引き続き完成に向けて描いていきたい。


絵は本当にいい。
静かになれる。

今週、もとい今月はすこし、夜更かし気味になりそうです。



2015年11月7日土曜日

立冬

一度だけ
心も体も真白に
洗濯して
干されてしまいたい

願わくば
夜になる前に取り込んで
ひとつずつ
畳んでしまいたい

生温い
風が通った境界例
捨てないで
大事にしていたい

後ろから
急発進した鹿の群れ
悉く
轢かれてしまいたい

粗相して
交わる風景殺したら
今すぐに
無にしてしまいたい

好いた彼の
黒いコートと体温に
躊躇わず
縋ってしまいたい

去る恋の
淡い記憶と御徒町
気紛れに
忘れてしまいたい

裏瞼
赤い血眼
なみだ色
惚けて目を綴じ
冬が来る

ああ冬が来る

2015年11月3日火曜日

蜜柑のある生活



すこし寒くなると、やっぱり、毛糸が恋しくなりますね、ということで、今日から編みもの始めました。
去年は音楽の活動もあって、お仕事もかけもちをしていて、あんなに忙しかったのに、たくさんの人にプレゼントを編んで、なんだかばたばたして楽しかったなあ。

九州の祖父母に帽子とマフラー、叔母に若草色のハンドウォーマー。
奈良に住む、母方の祖母にはやわらかい桃色のスヌード。
ヒツジが好きな石川のお友だち夫婦に、お部屋で勉強する用の、色違いのモコモコ指出し手袋。
自転車通勤のお友だちに、青いミトン。
星の似合うお友だちに、ぴかぴかが混じった毛糸で、ヘアバンドとシュシュを編みました。
あと、はじめてワンちゃんのセーターを編んだ。
これはいちばんの力作だった気がします。

なんばの高島屋の近く(タワレコと無印の入ったビルの、すこし南側)に、マスザキヤという毛糸屋さんがあって、世界のいろんな毛糸がたくさん揃っているという(しかも大型の手芸屋さんと比べ物にならないくらい質が良くて安い!!)、なんとも天国なお店なのです。
先日覗きに行ったら、めちゃめちゃ肌触りが気持ちよくていい色の毛糸を発見してしまって、その毛糸でお友だちにマフラーでも編んであげたいなー、と思っているところ。

だいぶ服の趣味も変わって大人っぽくなっていたから、ダークグレイとか、いいんじゃないかな?とか、いろいろ考えながら毛糸を眺めているだけで、ほんとうにしあわせな気持ちになれます。
でもその前に、家にある半端な毛糸たちをどうにか使ってしまいたい。
あんまり自分のために編みものしないんだけど、リハビリにスヌードでも編もうかな。
(このあいだおしえてもらった、指編みのシュシュも作りたいな)


プレゼントしたものたちのことを思うと、この一年で、会えなくなってしまったひとがいるんだなあと、すこし悲しくなったりします。
大好きな九州のおじいちゃん。もう帽子をかぶって、反対向きにピースをする姿を見ることはできない。
こんなにも、声も仕草も鮮明なのに、ふしぎ。

姉妹みたいに仲が良かった、たいせつなお友だちも、こちらから連絡を取ることができなくなってしまって、誰に聞いても行方がわからないから、どこかで元気な姿でいることを、静かに願うことしか、できない。
彼女とはまたいつか、線が交わるときが来るのだろうか?

そんなことを想うと、やっぱり、生きているあいだに、会いたいひとに会っておきたいし、つながりだったり、ひとの気持ちを、できるだけ、大切にしていたいと思います。
こんな人間だけれど、会いたいと言ってくれるひともいること。
その気持ちは、そっと、胸にしまって、飾っておきたい。

いま、どんなひとたちが、わたしの周りにいてくれているのだろう?
無理しなくていい、自然な気持ちで付き合えるひとたちばかりで、そんなひとたちに囲まれて、わたしは毎日、深く深く呼吸することができています。
大きく息を吸って、吐き出すとき、自然に笑顔になれる毎日です。
ほんとうに、ありがたいことだと思う。
わたしは何かで返すことができているのだろうか。

そして、振り返ると、やはり、つらい日々があったことも、しずかにこころで感じています。
でもそれは、誰がわるいとか、あの時ああだったとか、そういうことではないことも、きちんとわかっている。
いま、誰のことも責めたりしていないから、だからこころが、穏やかなんだろうと、そう思います。
(たまに、わるい夢を見るけれど、夢は夢だ)


この日々を、えらんでよかった。
いまのわたしは、いまのわたしのこと、好きです。

靴をえらぶこと、服をえらぶことと同じように、この生きかた、この生活をえらんでよかったと思う。
勿論、失うものがないとは思わないけれど、それはまた別のこと。
いまがいちばん、たいせつだと思っています。

現実は、靴も服も眼鏡も髪型も、気になるすてきなものが多くて、あれやこれやと迷っているんだけれどね。笑
この冬のコートは決めたんだけれど、靴と眼鏡が決まらなくて、かわいいものばかりだから悩ましいのですが、「迷えるしあわせ」というものも、あるのかもしれない、と思って、享受しています。
(多分に美化しすぎの気がする)


十一月に入ったばかりだというのに、もう来月のことを考えています。
はやく会いたいひとがいるというのは、これ以上ないくらい、しあわせだなあ、と思う。

また、あたらしいひとに出会う。
いままでに交わったことのあるひととも、あたらしい関係がはじまる。
思えば、おなじ関係でいつづけることなんて、実は不可能なんじゃないか?
どんどんあたらしくなって、どんどん変わっていくからこそ、お互い刺激にもなって成長し合える、いい関係なんじゃないのかしら。

おなじ街でも、季節が変わればあたらしい街になる。
おなじ人でも、関係が変わればあたらしい二人になる。

あたらしい風を取り入れて、旅人のように、暮らしていきたいな。


なーんてね。
そういえば、この時期、季節の変化に身体が対応するために、身体がわざと体内にウイルスを入れて免疫力を高めることがあるそうです。
結膜炎だったり足の痛みだったりは、もしかしたらそのおかげなのかな?

なるべくおとなしくしておくから、しっかり免疫力を高めてね。
今年の冬は、蜜柑をたくさん食べる冬にしたいです。



本日も見事に個人的な徒然の駄文ですが、お読みくださってありがとうございます。
十一月は、三日に一回の更新を目指しておりますので、お時間の許す限り、今月もお付き合いいただけると幸いです。

それではまた、三日後に。



(ちなみに、きのう、おとといとブログを書かなくてよかったから、開放感が半端じゃなかったです。笑
しっかりリフレッシュさせていただきました。お休み、って、だいじね!!)