2016年7月6日水曜日

七月の腫れ/骸の上



やるべきことがたくさんある、大体そんなときに限って体調を崩します。
力まず焦らず、のんびりいきなさい、と、誰かに言われているのかも知れない。

夏風邪に限らず風邪の治し方をいまひとつ理解していないので、
とりあえず身体を暖かくして、眠って、水分をたくさん採って、眠って、
汗をかいたら着替えて、というのを繰り返しています。
ようやく少しはましになって来たんだけれど、連鎖するように別の体調不良も到来してしまい、
湯たんぽのハリー君をスタンバイさせつつ、今年の下半期は瀕死状態で始まりました。


梅雨に入り、いよいよ夏も本番、皆様お元気にされていらっしゃいますでしょうか?
熱に魘されている間に、百箇日も、なんとか無事に終わりました。
四月五月と色々慌しくて何もできなかった分、また今月も、
月命日に合わせて、馴染みの居酒屋さんへ顔を出そうと思う。
(それまでにこのあいだ借りた分厚い歴史の本、読み切れるかしら)


さてさて、忘れないうちに告知を。
今週末、7月9日(土)に、zoozooseeのライブがあります。

場所 扇町Para-dice
開場 18:00
開演 18:30
前売 1000円(+お飲物代)
共演 バスクのスポーツ(東京)、ときめき☆ジャンボジャンボTRIO、タンタラズ、awl


我々は約5ヵ月ぶりのライブ。
前回ご一緒した東京のバンド、バスクのスポーツという恰好良いバンドさんも対バンです。楽しみ。
このあいだはベロベロに酔っちゃったから、今回はあまり飲みすぎないように、
私とりゅうちゃんとちはるくんの酒癖悪い3人の間では、協定を組んでいます。
果たして守られるのかどうか…りゅうちゃんは守らないだろうな…。

そしてなんと、はじめての音源を作っています。
個人的には最高にぼろぼろの時期に録音しましたが、
今回エンジニアもしてくれているベースちはるくんの敏腕MIXや、
ギター櫻井さんの超絶重ね技を駆使してもらったお陰で、
とてもいい音源に仕上がったと思います。

もちろん高山さんのクールでタイトなドラムも、りゅうりゅうの切ないボーカルも健在ですが、
音源にすることで歌詞が判るようになって、私とちはるくんにいじり倒されています。
私も少しだけコーラスを入れさせてもらった。久しぶりの声録り、面白かったです。
(ちはるくんはきっといいエンジニアさんになると思う)

4つの楽器の演奏を一発録りするのは難しかったけれど、
1つずつ重ねて録音していくのとはまたぜんぜん違って、ものすごく一体感が出ていて、
どの曲も雰囲気や空気をそのまま閉じ込めた、素敵な音源になりました。

CDのジャケットも、zoozooseeの元ドラム&元ベースのたいへいさんが描いてくれて、
こちらもバンドで奏でる音楽の世界観が表れた、すごく恰好良い絵で飾ってもらえることに。
元ベースのりょうさんも、子育てをしながらいつもあたたかく見守っていてくれているし(勝手にそう感じている)、
大好きなメンバーと一緒に、たくさんのひとの力を借りて生まれた音源を発表することができて、
心の底から、喜びを感じています。


そしてそんな愛に溢れた音源を、試聴することができます。
もしお時間良かったら、是非聴いてみてくださいね。

◎zoozoosee soundcloud↓
https://soundcloud.com/user-194121137/mix



とても居心地いい仲の良さを感じながら、その中で自分の音を表現できる幸せを感じながら、
いつものびのびと、自由気ままに、演奏をさせてもらっています。
昔みたいに、音楽を自分の生活の中心に置くことはなくなったけれど、
それでも、バンドや音楽に対する愛情には、一定の熱量があると思っている。

そうか、気持ちがなくなったわけじゃなくて、かたちが変わっただけなんだ。
いままで、それをうまく受け入れられなかったんだ。
ただ、それだけなんだ。

ああ、いま、ふと、すごく大切なことに気付けた気がします。笑
きょうはブログを書いていてよかったなあ、なんてね。



このところはずっと、やさしさについて考えています。
人の数だけ、やさしさの種類があるのだなあと、思わずにはいられない。
其処には、正しさも、悪もない。
ただ、いろんなかたちの、いろんなやさしさがあるだけ。

やさしい、やさしさ。
やさしくない、やさしさ。

やさしくしない、やさしさ。
やさしい人と思われたいがための、やさしさ。
やさしさに隠された、下心。
やさしくしていないのに、やさしさと思われてしまう、やさしさ。

言葉のはしっこや、微笑む口もと、投げかけられる目線、会話の空白から滲み出る、やさしさ。
並んで歩く距離や、手のひらの温度や、髪の触れ方でわかる、やさしさ。

そのひとの持つやさしさが、ぴったりと今の自分にあてはまるとき、
なにも不必要に甘えたり、寄り縋ったり、求めたり、しなくていいのだろうと思った。
自分自身や相手に不安になることも、それほどない。


いまの私は、これまでに出会ったことのないような、
想像以上に途方もないやさしさと出会って、躰も心も、身震いしています。
(そのせいで風邪をひいたのかも知れない、とさえ思う)

まるで、良く晴れわたった、見晴らしのいい丘の上に立って、心地よい風に吹かれているような。
遠くまで見渡すことができるその中で、地平線まで、ただひたすらに、
緑色した草原と、青い空が続いているような。

私もそんな丘のような、果てしない無償のやさしさに抱かれて眠り続けたなら、
すこしはやさしくなることができるのかしら。

(たまに、この空はどこまで続くのだろう、と思うときもあるけれど)


いつも、いろんなひとの、いろんなやさしさに、恵まれて、支えられて、生きている。
やさしさからたくさんのことを教わって、力を貰って、前を向くことができている。

出会ってくれて、ほんとうにありがとう。
やさしさ、は、そのひとそのもの、なのかも知れないね。


いろんな所に行って、いろんな景色を見て、いろんなものを生み出していけると良いね。
自分が変わっていくことを恐れずに、そのやさしさに、身を委ねていたい。

そう、身を委ねてもいいんだ、と思えたこと。
とてもとても、大きな変化だと思います。


とりあえず、週末のライブまでには体調を戻そう…久しぶりに、お菓子もたくさん作りたいし。
そろそろお饂飩以外のものも食べたいけれど、もうしばらくは、がまん。

しっかり休んで、ゆっくり眠ります。おやすみなさい。



2016年6月20日月曜日

敬天愛人



シンプルに暮らしていきたい、と、よく思います。

それなのに、知識ばかり詰め込もうとしている私の脳みそ(溢れかえる情報を詰め込むよりはましか、と思わなくもないけれど)、
好きなひとから教わることなら何でも、そのひとが生きている限り、
なるべく近くで感じながら、受け止めながら、過ごしていきたいと思う。

巷にあふれる有名なひとたちの言葉もすばらしいけれど、
しっかりと手を握って、ときには肩を抱き締めてくださって、
目と目を合わせながら、ひとつひとつの言葉を胸に届けてくれる存在がいること。
そこに、強く強く、生きているひとがいるということ。

身に余る享受だと、いつも思います。
どのように還元できるのだろうか、と思っても、良い知恵が浮かばなくて、
多分に、そわそわしています。

ひさしぶりに曲を作った。
それがどういう意味を成すかは、わからない。
ただの、ただの表現だということを、自分ではまだ、理解できないらしい。

もらった言葉のすべてを血肉にするには頭が足りないかもしれないけれど、
与えてもらったことは身体の中にすべて入り込んでこれからの私を造っていくだろう。
それは今までの経験や、今まで出会ったひとたちの存在も、同じこと。
言葉は、言葉でしかない。
気付いたのなら、そのことをたいせつにして、生きていきたいと思う。

今は、今でしかない。
そういうことです。

此処で、このように文章を書くということは、
文章では表しきれない想いを損なっているということ。
世界は万能ではない、もちろんこの身も。
一生のうちに会えるひとは限られているし、過ごす時間も限られていれば、行ける場所も限られているし、聴くことのできる音楽も限られている。
手に入れられるものも、交わす言葉も、触れる体温も、覗き込んだ瞳の奥も。

なんてね。
なんだか破廉恥。
いっとう好きなひとに於いては、その総てを曝け出すことは末までないから、余計に。


そういえば、久方ぶりに顔本を覗いたら、四月のお誕生日にメッセージをくださった方々がいらっしゃって、今日の今日まで気付かなくてすみません。
多大なる失礼を改めてお詫び申し上げます。
(ほんとうは暫くの間、アプリを消していました)

それでも、長いことお会していないひとと、電波ではあるものの言葉を交わして、身を案じ合うことにも、それはそれで癒されるものです。

お蔭様で、無事、三十路に成りました。
いつもいつも、あたたかく見守っていてくださって、本当にありがとうございます。
またご縁がありましたら、いつかどこかでお顔を拝見出来ると幸いです。



さて、順調に、後の片付けは終わっていこうとしている。
たまに、遣り切れないときもあるけれど、
自分を含めて誰のことをも責めないというスキルをこの二ヶ月半で会得したので、
それは自分の人生にとって大きなことのように思います。

泪を止めるな、と、云っていただいた。
泣きたいときは、思い切り泣け、がまんするな、と。

もう我慢はしないけれど、
贅沢は言わないように心掛けています。

ぜいたく。するかしないか、の話ではなくて、
贅沢かどうか、の話。

いつだって無い物強請りが過ぎる私には、このくらいが丁度良い。
自惚れないように、傲慢にならないように。


もう、どこにも戻らないし、どこにも行かない。
それで良いのだと思う。

私の目の前のことは、私の目の前にしか存在しない。
私の歩いてきた道は、私の後ろにしか存在しない。
そしてそのすべてを手放せるのは、自分しかいないこと。

その事実と、たいせつなひとたちのたいせつな言葉を胸に、これからも生きていきたい。




2016年6月19日日曜日

あなたのとりこ




愛に代わるものは、あるのでしょうか。
自分の内側にある烈しさが、幼いまま、かたちを成さぬまま、溢れてしまいそうです。

初めて過ごした、たいせつな一日も、失うことを恐れてしまっては、
ただ、その色が褪せていくばかりで、怖いような気もします。

もう、何も、もう、誰も、これ以上は。
悲しみに替わるものは、あるのでしょうか。


誰かが其処に、居るのでしょうか。
手を伸ばすことは、赦されているのでしょうか。


誰も答えを知らない。
死者は何も語らない。

何もないなら、何もないで良い。
不確かなものもすべて、何もかも、成仏してしまうと良い。

もうこれ以上、何にも、誰にも、
縋り付きたくないことだけは確かです。




2016年6月1日水曜日

鉄線花の下で



すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様お元気にしていらっしゃいますでしょうか?
季節はすっかり春を通り過ぎてしまって、蒸し暑い日が続いたり、一昨日までのようにぐずぐずした雨の初夏、昼夜の温度差などにやられ、私なんかは早目の夏バテを喫しています。


個人的な事柄ではありますが、三月の末に父が亡くなりました。
漸くふた月が過ぎ、振り返ると、怒涛、としか言いようのない日々を過ごして、まだ完璧に収束した訳ではないのですが、すこしずつ、ほんとうにすこしずつ、落ち着きを取り戻しているところです。

先日、久しぶりに友人とゆっくり会い、元気を沢山貰って、あらためて人と会うことの大切さを痛感しました。
自分のなかの生命力のようなものを、あっさり引き出してくれた友人に、こころから、感謝しています。
そして今日は、久しぶりに職場の方々とお会いして、お顔を拝見出来なかった方々とも連絡を取り合うことが出来てことが出来て、とても元気をもらいました。
また、あしたからも、がんばろうと思えた。
自分ひとりでは中々、この状態まで持ってくるのは難しかった。

この二ヶ月間にあった出来事と向き合っていくのには、まだすこし、時間がかかりそうです。
ほんとうに様々な事があって、未だに混乱している部分もあるのだけれど、こうして、また、文章を書く行為を選んだ自分を、こっそりと、褒めてあげたい。


皆、一生懸命、生きているのだなあ、と。

何かの折々、そう感じました。
至極当たり前のことなのだけれど、目が覚めるような事実のように感じた。
(私はまだ一歩踏み出せないでいる)


きょうから六月、いろいろな想いを胸に、また、あたらしく、積み重ねて、あたらしく、つくりだしていけるといいなと、思います。
終わったことに目を向けないで、前を向いて生きていく強さが、欲しい。
何度失っても、何度別れても。

性も懲りずに、
また、人に沢山、出会いたい。




2016年3月18日金曜日

御自愛



夜がすこしずつ生ぬるい風を孕んで随分と息がしにくくなってきましたが、皆様如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
真昼の日差しは思わず目を細めてしまうくらい強くて、目を閉じると、昼と夜のあいだ、冬と春のあいだにひとり取り残されたような気持ちになる。
そう感じるのは私だけだろうか。


きょうはちょっとしたお知らせ、です。
この文章を書く前に、さみしくなる報せを聴いたので、もしかしたらすこし、テンションが低いかもしれない。(文体が暗いのはいつものことかもしれない)

もうすでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、4月からしばらく、大阪を離れようと思っています。
理由はすべて話せないけれど、大阪を離れることが、これからの自分にとって、いちばん良い選択だと思ってるからです。

いつも突然、驚かせてごめんなさい。
また落ち着いたら戻ります。
zoozooseeの音源も作りたいし、ライブもセッションもまだまだチャレンジしたいし、だいすきな友人たちにも、すくすくと大きくなるその子供たちにも、これから生まれてくるあたらしい命にも、もっともっと、たくさん会いたい。

去ることになってから恋しく思うなんて、とんだ阿呆だとは思いますが、べつに一生の別れではないから、会いたいひとには、その時々で、きちんと会いに行こう、そして、行きたいところには、行けるときに、きちんと行っておこうと、あらためて、強く思っています。

そのためにも、一度からっぽになりたい。
離れることで見えてくるものがあるということは、去年一年間でよくよくわかっているつもりですが、いろんなものごとに、出会いなおすためにも、一度思い切って距離を置いてみようと思います。


なんだか自分でも不思議なんだけれど、この選択をしたときから、心がすとん、と、している。
まるで、あらかじめ決められていたことのような気持。
このあとどうやって生きていくかは、すべて自分次第、それもまた、なぜだかとても、たのしみなのです。(この、怖がりのわたしが!)

生まれ育った土地を離れて、これからのことを決めずに、呼ばれるほうへ、導かれるほうへ、見えない大きな力に身をゆだねて、こころの赴くままに。
いいな、と思ったほうへ、ただ、漂っていくのが、いまの自分にとっていちばん心地良いことのようです。

やりたいと思えばやればいいし、やりたくないと思えばやめればいい。
好きなものは好きでいいし、きらいなものはきらいでいい。
そして、自分のことは自分で決めて、自分で最後までやる、そんな当たり前のことを自分に教えるために、すこしだけ旅に出てきます。

またちょこちょこ、帰ってくると思います。
変わらずお相手してくださると、とてもよろこびます。


本当ならお世話になったひとたちや会いたいひとたち、ひとりひとりのお顔を見て、お礼を伝えたり、ゆっくりお話しをしたかったのだけれど、慌しくしていると時間をうまく作れずに日付だけが過ぎて行ってしまい、とても残念に思っています。
もしよかったら、三月最後の土曜日に身内で集まる機会があるので、こんな私なんぞの顔を見に来たいと言ってくださる酔狂な方(!)がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

こちらからお声かけさせてもらっている方もいるのですが、連絡がぜんぜん追い付かないので、取り敢えずのお知らせ。
ただ、知人のされているカフェスペースを特別に貸し切らせていただいているので、もしかしたら人数の都合などで、お越しいただけない場合もあるかも知れませんが、そのときは、また帰ってくるまで、どうぞ気長に待っていてくださるとうれしいです。

もともとはこんな大々的にするつもりはなく、自宅で無料のガレージセールのようなものをするつもりだったのですが、案外たくさんの方がご興味をもってくださり、狭い自宅では皆様にくつろいでもらえない、と思い、知人に相談させてもらって、今回特別に場所をお借りすることができました。

いつも無茶なお願いを快く引き受けてくださる、とてもやさしくてだいすきなお姉さんが営んでいらっしゃる、すてきなすてきなお店。
お茶など飲みながら、ゆっくりくつろいでいただけると幸いです。
職場の方々も駆けつけてくれるそうで、大好きなひとたちにあたたかく見守ってもらいながら、最後にこういった場を設けさせてもらえることを、ほんとうに有り難く、しあわせなことだと思います。

旅先に持っていけないものを無料で提供していますので、なにか気に入るものがありましたら、あたらしい命を吹き込んでやってくださるとうれしく思います。
お日にちが近いですが、もしお時間よろしかったら、お気軽にいらしてくださいませ。
(お時間や場所などの詳細は、ご連絡くださった際にお伝えいたします)


さてさて、きょうも長くなってしまいましたが、いつも最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
ふと、今年は、いままでよりも、たのしくなる一年のような気がしました。
どんなことがあっても、たのしめる、自分がいるから。
たのしくしよう、と、自分で決めたから。
それはとても、おおきなことだと思う。

きっと、どんな場所に行っても、誰と一緒に暮らしても、変わらないものがある。
だからいま、行けるときに、いろんなところへ行っておきたい。
できるときに、できることをやっておきたいと思う。

やりたいことも、たくさんある。会いたいひとも、たくさんいる。
遠くにも、近くにも、ずっと見てくれているひとが、たくさんいることも、知っている。

それがどんなにしあわせなことなのか。
最近やっと、雪が雨に変わるように、氷が解けて水になるように、すこしずつ、身に沁みてわかってきたような気がします。

まだまだ未熟ものの私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今月いっぱいはテ○ナのライブやら、ヒョッ○コのライブやら、前田○ゅうのお誕生日会やらで、その辺に出没する予定ですので、お見かけしましたらぜひ遊んでやってくださいね。(なぜ伏字)


それでは。また書きます。
ごきげんよう。




2016年3月15日火曜日

手の鳴るほうへ

すっかりブログをお休みしてしまいましたが、みなさまお元気されていらっしゃいますでしょうか?
わたしは元気に毎年恒例・春の不調シーズンに片足を突っ込みつつ、なんとか生き延びようと毎日足掻いているところです。

二月後半からの出来事を簡潔にまとめると、
・谷町四丁目を散策した
・鈴木さんとデートした
・zoozooseeのライブがあった
・くるみちゃん、airlieちゃんのライブを観に行った
・わかばにゃんとデートした
・久々にお菓子作りを失敗した
・わかばさんのワンマンライブがあった
・今年初めて着物を着た
・ある人たちとセッションのためのスタジオに入った
・パンパトロールをした

などなど。ちょっと満腹すぎるね。
ほんとは全部、詳しく書きたいんだけれど、そのうち、時間が許せば。

近頃は気分の浮き沈みが激しくて、環境の変化も多くって、参ってしまいそうです。
きょう、やっとすこし、恢復の兆しが見えたような気がしたけれど、まだまだ春はこれからだし、油断ならない感じがします。

とりあえず、羅針盤と上原ひろみさん、このあいだのセッションの音源を聴いている。
周りの人たちに救われて、辛うじて、ちいさく息ができている。
黒いはずの髪が、すこしずつ傷んでいく。

夜中にひとり、部屋に閉じ籠ってピアノを弾く時間だけが、私をこの世に繋ぎ止めてくれている。
上手く弾けなくて、何度も鍵盤と腕を殴る。冷たい白と黒に突っ伏する。
他人から与えられる孤独を識る。そして身を以て、向き合う。
これを乗り越えられないと、誰の傍にも居られないことを識っている。

昔の様に、ひどく鬱っぽくならないのは、その向こうに、共に生きていきたいひとが居るから。
縋りたいのではない、甘えたいのではない、ただ、心の底から、ほんとうに必要だなあと思えるひとが、待ってくれているから。

いまは、ひとりで、自分と戦っているところ。
弱い自分に負けないように。
何度も挑む。何度でも。

昔と違って、何があっても負けないぞ、という気概だけはある。
なんだか色んな事がよく見渡せるような気持ちになる。
ゆっくりと春は訪れ、枯れたと思っていた植木の枝から、ちいさな緑色がすこしずつ芽吹く。

いま、苦しいときだけれど、きっとかならず、辛いことの後には良いことが待っている。
この経験はただの痛みじゃない、かならず、経験して良かったと、思える痛み。
それを識っている。

すべての物事を受け容れられる、そんな気持ち。
だから、辛いことも、辛くない。
そんな気持ち。
それも識っている自分を、ほんのすこし、頼りに思った。

いまが、いままでの人生の、集大成。
今年が正念場、なんてね。ふとそう感じた。

五黄の寅年生まれの皆様、如何でしょう?

ちょっとしたお知らせがあるので今日はこの辺で。
またそのうち書きます。

2016年2月21日日曜日

球根



きょうは気持ちが良いお天気でした。
お日さまからの日差しはだんだんと春のそれへ変化してきているのに、夜に吹く風の温度はまだすこし冷たくて気持ちが良い。
帰り道に通る公園のにおいに、春のにおいが混ざっていて、なぜだか胸が苦しくなりました。
(お昼間には右翼の方と警察がたくさんいて、なぜだか思わず笑ってしまったけれど)


最近、目覚ましをかけている時間より早くに自然と目覚めることが多くて、二度寝をせずにそのまま起きるようにしているのですが、だいたい6時半くらいに目が覚めるのに、いつの間にかすこしずつ早くなってきて、今朝はついに5時台に起き出してしまった…もはや、おばあちゃんだなあ…。
いつもは冬の朝が寒くて布団から出るのが苦手なのだけれど、今年は暖冬も手伝ってか、案外一度目覚めたらそのまますんなり起きられるのも、早起きが楽しい理由かもしれない。

きのうは一日じゅう、雨。
パン屋さんで働いている同僚の方のお家のガレージで、朝からお野菜市をすると教えてもらったので、家から歩いて40秒のお家へお邪魔しに行きました。
スーパーなどではなかなか見かけないような種類のお野菜や、いびつだけれど大きな大根、しっかりした葉がついているキャベツ、まだ土のにおいがするんじゃないか、と思えるほど、ワイルドでのびのび育てられたのが伝わる野菜たちが、とにかく、安い!!
ちいさくてかわいいじゃがいも、たくさん入って100円だったり。
いちばん小さなものを選んで買ったつもりの150円の水菜も、袋から出してみたら、わさ~っとして、あれ、食べきれるかしら…なんて思ったり。

こちらは、和歌山の農家さんが、毎週土曜日にお野菜を売りに来られているそうです。
場所は、らきせぶさんの、二件右隣のお家のガレージで、8時くらいから10時くらいまで、お店を出されているそうです。
まだ8時過ぎなのに続々と人が集まってきて、籠いっぱいに野菜を買っていく、買っていく…。
わたしも8時前に行ったのですが、その日はもうすこし早めからお店を出していたそうで、じゅうぶんたくさんの種類があったように思っただけれど、朝いちばんはもっともっといっぱいあったそうです。
次はもうすこし早く行ってみようかな~。


そして今朝は、歩いて30秒のところにある、FUKUのシフォンケーキという美味しいシフォンケーキ屋さんのモーニングを母と食べに行きました。
FUKUさんのつくるシフォンケーキは、平飼いの卵を使ったりと素材にもこだわっていらっしゃって、ふわっふわで美味しくて親子で大ファンなのですが、モーニングのお料理も、すっごく美味しかったです。


お店は一つのテーブルで6席、小さくてかわいくて、これまたかわいらしいお庭もあって、細かいところまで気を配られていて、久しぶりにゆっくりとくつろぐことのできる空間でした。
九か月の赤ちゃんを連れたご夫婦もいらっしゃっていて、まったりとお話しもさせてもらいつつ、母とこれからのことについて話したり。贅沢な朝のひとときを過ごさせてもらった。
ちかくにすてきなお店があるのって、いいですね、こじんまりとしている佇まいがまた、いいと思います。

FUKUさんのシフォンケーキ、いつもは木曜~日曜までテイクアウトをされていますが、日曜日の9時~11時だけ、モーニングをされているそうです。
選べるお飲み物も種類がたくさんあって、モーニングで飲むことのできる紅茶やハーブティーは、お店で販売もされています。
もちろんいつものシフォンケーキも、その季節ごとの素材をつかったラインナップがそろっていました。

場所は谷町六丁目の一番出口から歩いてすぐ。
味のある細い路地を通るとかわいらしいお店に辿り着けます。
もともとポコペンがあった場所、といえば、わかるかな?
ちなみに、何度か書いているかと思いますが、ワニのライブやイベント、美術会のときにも出させてもらっていたので、食べたことがあるひともいるかもしれないです。

ふんわり、もっちり、やわらか天使のシフォンケーキ。
もし谷町にいらっしゃることがあればぜひ買いに行ってください。
FUKUさんも、とてもすきな方です。

◎FUKUのシフォンケーキ
https://www.facebook.com/fuku29cake


あとから聞いたのだけれど、ご相席させていただいたご夫婦さんも、『整体と暮らしのギャラリー nara』というお店の方らしく、わたしはまだ行ったことがないのだけれど、難波宮跡公園のすぐ近くにあるみたいです。
谷町はまだまだ面白いところがあるなあ、今度ぜひ行ってみよう。


3/12~3/27までnaraさんで開催される、うつわの二人展。
このフライヤーのお料理も、FUKUさんの手作りだそうです。
めちゃめちゃおいしそう…!!


なにげに、19日のワニさん珈琲がきになります。笑
左側の作家さんのうつわは、FUKUさんのお店でも出されていて(モーニングのハーブティーのマグカップ)、とてもすてきでした。
引っ越し前で荷物あんまり増やしたくないけれど、かわいい…。


なんて、地域密着なこの数日でした。
お仕事もバタバタでとても忙しかったけれど、いろんな人に助けてもらいながら、なかなかたのしく過ごさせてもらっています。

そしてついに!パン屋さんのブログを開設するよ!!
…と思って、せこせこと作業していたんだけれど、意外と下準備がむずかしくて、さらにパソコンちゃんの作業効率も悪くて(冬だからかな?)、若干、心が折れかかっております。
公開はもうすこし先になりそうです。楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃったら、すみません。
そのかわり、あしたもパンパトロール(パン屋さんめぐりのことをそう名付けた)するし、内容はそこそこ充実したものになるんじゃないかな…??と、こっそり思っています。
来月中には公開したいです。乞うご期待。


一月、二月と、忙しいながらも、ひとつひとつ自分のペースで築いていったり、歩いていったりできるのは、自分の周りのひとたちのおかげさまだと、思っています。
直接そばにいるだけじゃなくって、遠くのひと、ご無沙汰してしまっているひと、もう会えないひとにも、いつも元気や勇気をもらっている。

でも、いちばんは。
いままで、いろんなことがあったけれど、それを乗り越えていまここに立っている自分が、いちばん、自分のことを、いちばんそばで応援している、そんな心持です。

じぶんが、じぶんの、相棒。
それってなんだか、いいなあと思う。

だってそれなら、どこにいたって、どこに行ったって、へいき。
これから、どんなことがあったって、へっちゃらだもんね。


たのしいこと、おもしろいこと。
見つけていこう、生み出していこう、わけあっていこう。
わたしはいま、ものすごーく、生きているのだなと。
毎日そう感じています。
そしてそれは、とてもとても、しあわせなことだと、有り難く受けとめている。

これほど情熱的になれる冬の終わりは、はじめてかもしれない。
春を待つ木の芽や、土の中の球根みたいな気持ち。


あなたにも、すてきな春が訪れますように。
季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいね。

ではまた。