枯れた声で散々歌って、じぶんの歌声を聴いて、
いま、ようやく落ち着きました。
まぶたが熱くて、頭が重たいです。
何があったわけではない。
何気ない一言に、心臓を鷲掴みにされて、
己の無力さに絶望感をおぼえただけです。
これもひとつの過程なのか。
それならば生きていたくないと思うけれど、
そういうわけではない。
神さまは、いつもすべてをわかっていて、
そしていつもうまい具合に、生きる糧を与えてくれる。
すこし前に、なんとなくだけれど、気になるひとができて、
じつはもう二度とだれかを好きになんかなれないんじゃないかと思っていた矢先だったので、
とてもうれしくて、ほっとして、このあいだなんかも、
すごく体調がわるくて仕事も忙しかった日に、
ちょうどタイミングよくメッセージをもらったりして、
そのひとの存在だけでかなりこころが救われていて。
いまもそのひとの音楽を聴いているし、
毎朝こころのなかで、そのひとに、おはようと云う。
それだけで一日がんばろうという活力を与えてくれるひと。
きょうのことがあっても、そのひとのおかげで、
またあしたからも、がんばれそうです。
そして、そんなひとと巡りあわせてくれた神さまにも、
どうもありがとうと、毎朝云います。
たぶん、いま、
生と死の狭間にいる。
それは貴重な体験だ。
押しつぶされないように、
自分が誰だかを、見失わないように。
彼女もきっと、こんな毎日だったのかと思うと、
どうしていちばんつらいときに、
いっしょにいてあげられなかったのかと思って、苦しくなる。
わたしはとても、つめたい人間です。
ほんとうに、つめたい人間です。
因果応報、罰を受けるには覚悟が必要。
まだ不十分。
もっと捨てて、身軽にならなければ。
遮断して、独立しなければ。
泣くのは今日だけで良い。
あとはずっと、笑っていようと思う。
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