2016年1月31日日曜日

てのひら



きのうはブログを書くのをすっかり忘れてしまい、一日遅れの更新です。

木曜日の、幼馴染みとのデートはたのしかった。
お天気が良かったので難波まで歩いて(きっかり三十分かかりました)、堀江でオムライスを食べて、いろんな雑貨屋さんやお洋服屋さんを見に行ったりしました。
D&DEPARTMENTという雑貨屋さんの二階、家具売り場の空間がすごく雰囲気が良くて、家具といっしょに民芸品が展示してあるのだけれどどれも素敵で欲しくなってしまいました。

最近、ちょっと民芸のものに興味がある。(毎月郵送されるORBISの会報も、ちょうど民芸の特集をしていた)
母が焼き物好きで家に鍋島やら古伊万里やらの本があるので、また時間を作ってみてみたいな。

久しぶりに会うお友だちと、他愛のないことから何から、ゆっくり話せて良かったです。
「過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる」っていう、すてきな言葉をおしえてもらった。
十年以上前の言葉も、たいせつに胸に持っていまを生きていけること。
とても素晴らしいことだと思いました。

次はオーブン陶土で箸置きを作る会を開催することになりました。
あたらしい試みについてはもうすこし調査が必要みたい。それもまたじっくり進めよう。


金曜日、とても恐ろしい夢を見て怖くて目が覚めた。
親しい人に暴力を振るってしまうような夢。
夢の内容に傷つくなんて久しぶり、しかも起きてすぐに思わず泣いてしまうほどの夢でした。
雨でしたが歩いて出掛けて、バレンタインのプレゼントを買いに行ったり、新作の下着を見に行ったりしました。
なかなか良いものが買えたんじゃないかなと思って満足しているところ。

職場に向かう、雨の日のバスが好きです。
とくに冬は、だんだんと曇っていく窓ガラスから外の景色を眺めるのが好き。
葉っぱがぜんぶ落ちてしまった木々、同じように曇った窓ガラスのバス、すこし寂しげな人気のない川べり、傘をさして寒そうに歩く人たち。
バスに乗っている人たちの会話を聞きながら本を読むのもたのしい。
日常の中の異空間、電車とはまた違う、同じ方向へ向かう、たくさんの人の人生。

『多くの人生はただの風景として通り過ぎ 触れてみてわかる温度に涙が出た』
という言葉を遺したのは、若かりし頃の君でした。
それにメロディをつけて遊んだりもしたなあ。
長い時間共歩んできてくれてありがとう、と、あんまり面と向かって言えないことをここで言ってみる。
これからもどうぞよろしくね。


土曜日は、たのしみにしていたプールに泳ぎに行きました。
前回泳ぎに行ったのから、たった一週間しか空いていないなんだけど、もう、ほんとたのしみでたのしみで。
たのしみ過ぎてこの前の日に、プールに行く夢を見てしまって、ちょっと夢の中で満足しちゃった節もありますが、朝から軽く体操をして(たのしみで予定より一時間早く起きた)今回は自転車でプールに行きました。

やー、ほんと、息が苦しくなるまで泳ぐ、というのは、滅茶苦茶気持ちのいいものですね。
今回は新しく発見があり、プールの奥にジャグジーが設置されていて自由に入れるということを知りました。
冷えた体をジャグジーで温めてまた泳いだり、泳いだ最後にジャグジーで体を温めてから着替えに行ったりと、いろんな使いかたができるそうで、わたしも休憩がてら、何度かお湯に浸かりに行きました。
ぶくぶくの泡が、疲れた体を癒してくれるようで気持ちよかったです。

今回は1時間半くらい泳げたかな。
途中、潜水してドルフィンキックするのにはまってしまって、息を止めるから肺活量も鍛えられるし、わかりやすく何メートルまで泳げる、という結果も伴うし、これはトライアルの価値ありです。
いまのところ、調子が良かったらプールの半分くらいまでは、息継ぎなしで潜って行けるようです。
連続で泳げる時間と共に、潜水の記録、伸ばしていきたいな。
結果は随時報告いたします。

体力の消耗が半端ないので、すこしお昼寝をしてから、夜はzoozooseeの新年会(飲み会)へ。
大好きな沖縄料理屋さんで、生姜ちゃんこ鍋のコース料理を食べに行きました。
もともと父方の祖父が鹿児島出身なこともあり、ゴーヤは小さい頃から慣れ親しんで口にしていたんだけれど、沖縄料理は数年前まではぜんぜん食べたことがなくて。
zoozooseeのボーカル・りゅうちゃんに教えてもらったお店がめちゃくちゃ美味しくて、ソーキそばが大好きになったんだよね。
そこからミミガーや海ぶどう、アロエのお刺身みたいな沖縄独特のお料理も好きになって、今回のお鍋もすごく美味しくて大満足でした。
いつか沖縄にも行ってみたいなー。めんそーれー。ゆいまーる。

たくさん食べて、たくさん飲んで、たくさん話して、とてもたのしかった。
新しいいのちが宿った身体で、櫻井さんの奥さんも来てくれて、エコーの写真だったり、結婚式の衣装合わせの写真だったりを見せてもらいました。
櫻井さん、ほんともう、しあわせそうで、溶けてなくなっちゃうんじゃないか、っていうくらいデレッデレの顔してるの!
そういう仲間の姿をすぐ近くで見られるのって、ほんとうれしいな、と思いながらお話を聞いていました。
いまはね、もうレモンくらいの大きさになっているそうで、ちいさな手が、ぴょこん、って、エコーに写っていました。

これからどんどん大きくなっていって、夏になったら会えるんだよね。
いのちって、ふしぎだなあ。
無事にこの世の中に生まれておいでね。
みんな、とってもたのしみに待っているよ!


バンドメンバーとゆっくり話す機会って案外なくって、お互いの好きな食べ物とか漫画とかキャラクターとか、いつも誰の音を聴いて演奏しているかとか、ほんといろんなことを話せてたのしかったです。
お酒もあるだろうけれど、みんなで惚気あうの、きらいじゃないよ。
みんなの好きなところは言い出すときりがないけれど、そのうちの少しだけでも伝わっていたらうれしいなと思います。
(酔っていい気分だったので、言ってもらったことはあんまり覚えていないのがちょっと残念)

でもやっぱり、音を出してのコミュニケーションが一番確かで、分かり合えると思うし、何より気持ちが良い。
リラックスして自分の出したい音が出せる、そういう仲間に恵まれて、ほんとうに有り難いです。
そして、そういう場所があること、そういう場所で音を奏でられること、身に余る幸せだと思います。

みんなにも、もっと知ってもらいたいな。
感情を突き動かされる、静かで激しい、そんな音楽。
桜重奏や、ワニとはまた違った、音楽での表現。
わたしにとってたいせつなたいせつな、表現の場所になりつつあります。


これ以上書くと惚気で私が溶けてなくなっちゃいそうになるから、きょうはここまで!
ほんとはお掃除ルーティーンのことも書きたかったんだけれど、また今度。

今夜も長々とありがとう。
おやすみなさい~




2016年1月27日水曜日

呼び声



この幾日かは、先週末のものすごく寒い日よりは気温もましで、冬至を越えているからかお日さまがやわらかく、だんだん春の日差しに近づいてきているようなきがして、やさしい気持ちになります。
でもまだまだ冷たい風が吹く。隣では姉がくしゃみを連発している。
皆様もどうぞ、ご自愛下さいますよう。


また新しいお菓子にチャレンジしてみました。
昨日は、仕事中に「食べたい!」と思って、いてもたってもいられなくなって作った『豆腐ドーナツ』。
揚げ物があまり得意ではなくて天婦羅やコロッケを著しく作らないので、普段はオリーブオイルで事足りるのですが、ドーナツを揚げるためだけに思わず買ってしまったなたね油を、どうしようかと思案中です。
(お正月のおもちを揚げておかきにしても美味しいかもしれない)

揚げたてがいちばんおいしいかな、と思ったので、お仕事が終わってから大急ぎで作って、zoozooseeのスタジオに差し入れをしました。
皆よろこんでくれてよかったです。
毎回どんなお菓子でも、美味しい美味しいと食べてくれて、いつもありがとう。
(ついったでもつぶやきましたが、「売れる(ほどのおいしさ!)!」をいただきましたー。ヤッタネ)

きょうは、その大量にあるなたね油を消化できるお菓子、『オートミールクッキー』を作りました。
材料のオートミールや小麦粉、お砂糖、ミックスナッツなんかをミキサーにかけてしまって、そのあと、なたね油とお水を混ぜて焼くだけ、というなんと簡単なお菓子…!!
食べなくて余ってしまっていたオートミールも消化できるし、なたね油も消化できるし、素朴でぼりぼりしていておいしいし、一石三鳥のお菓子です。
ドライフルーツを入れたり、全粒粉を混ぜたり、甘みをハチミツで作ってみたり、お水の代わりに豆乳を使ったり、シンプルなだけに改良の余地がありそうなお菓子でした。
(こちらも思わず、きょうの仕事帰りに追加のオートミールを買ってしまった)


きのうはzoozooseeのスタジオ練習がありました。
ギターの櫻井さんがお仕事で来れなかったので、4人での練習。
櫻井さんがいないとき、既存の曲を練習してもなんだか物足りなくて、欲求不満のような気持ちになるので、だいたい新曲を作ったりセッションをして遊んでいます。
今回も新曲を作りました。どんな曲かはまだヒミツだけれど、かっこいい曲になる予感がしています。

皆の休憩中、ドラムの高山さんと二人でセッションしたのがとても楽しかった。
最近はまっている、ちょっと早いテンポの、ジャズっぽい曲。
左手でベースラインを出しつつ右手でメロディを弾くのがなんとも難しくて、止まらずついていくのに精いっぱいでした。


高山さんは、ほんとに素晴らしく、そして上手なドラマーさんだと思う。
はじめて一緒に合わせたときは、“ただ”上手い人、なのかな?と思ったけれど、それは間違いだとすぐにわかった。
技術があって、ただ上手いだけの人はたくさんいるんだけれど、高山さんはなんていうか、技術の内側にきちんと熱量のある人、という感じがします。

ほんとうに器用で、りゅうちゃんの言う無茶な注文も何でもこなせるし、どんなジャンルの引き出しも沢山持っているし、繊細なドラムも大胆なドラムも叩けるので、一緒にやっていてこちらの音楽の幅もぐんぐん広がっていくのがわかって、とてもたのしい。
毎回、あ、じぶんって、こんなことも出来るんだ、っていう発見がいっぱい出来て、面白いです。

まあ、だいたいは、自分の技術のなさ、引き出しのなさ、余裕のなさに凹んで反省ばっかりなんだけれど…。
きのうはリズムの取り方や、フレーズの拍をずらした時のコツなんかを教えてもらったり、LINEという曲の、ドラムとピアノだけになるワルツのようなところがあるんだけれど、そこで厭らしくない程度に合わせる練習にも付き合ってもらった。

自分の技術で出来る範囲で、じぶんの感じたことを表現しつつ、ほかの人との音の重なりや混ざり合いを楽しめるレベルまではまだまだだけれど、すこしずつ出来ることが増えていくのはとてもたのしい経験です。
ライブになるとまた変わってゆくからね、おもしろいよね。

もっと感情をあらわにしたドラミングもみてみたいなー、なんて、贅沢なことを思ってしまうけれど、わたしのほぼ感情任せの即興ピアノや、自由気ままな櫻井さんの情熱ギターを支えてくれるのには、最高のドラムなのかもしれない。
(ドラムソロで充分魅せてくれるから、我儘言わないの!)

そんな高山さんのドラムが観れるzoozooseeのライブは、2月28日(日)扇町Para-diceにて。
もしかしたら寒さもすこしはやわらいでいるかもしれない。
よかったら、春を待つ浮き浮きした気持ちで、遊びに来てくださいね。

(わーい、うまいことライブ告知にもってこれたー!)

高山さんをはじめ、zoozooseeのみんな、ほんとうにいつもありがとう。
大阪にいるあいだ、まだもうすこし、遊んでくれるとうれしいです。


そう、今年はね、大阪に限らず、東京や札幌、いろんな土地にいるお友だちと、音楽で遊べるといいな、と思っています。
せっかくこんなにたくさん、周りに音楽出来るお友だちがいるんだし、武者修行だと思って、臆せずチャレンジしてみたいなあ、と。
バンドで活動していなくても、音楽が好きで、楽器もあんまり弾けないけど、むしろ触ったことないけど、っていう人たちとも、一緒にやってみたいと思います。
あと、まったく別の界隈だったり、別のジャンルだったり、知らない土地で知らない人たちに飛び込んでゆくのも楽しそう。

それに、楽器じゃなくても、自由に、遊んでみたいと思います。
絵を描くことにもチャレンジしたいし、なんていうか、いろんな、興味があって大好きなことを、やっていこう、と、思って。
出来るからやる、のではなくて、出来ようが出来まいが、やりたいからやる、そういう気持ちで、何にでもぶつかっていきたい。
齢は三十を迎えますが、二十代よりももっともっと、怖いもの知らずになりたい。

きのうも、三十代最後の年に富士山へ登ると宣言している職場の先輩に感化され、「よし、山に登ろう!!」と意気込んでいるところ。
(ちなみに登山未経験にもかかわらず、二十代最後の年にも一人で登りきったそうです。行動力半端ない…!!)
おかげさまで身体もすっかり元気になってきたし、水泳でしっかり体力をつけて、からだを強くして、いろんなことに、チャレンジしよう。


たのしいほうへ、えがおになれるほうへ、どんどん向かっていこうと思う。
もちろん、いまも、いまで、いまの暮らしや周りの物事を楽しませてもらっているし、楽しむことができているんだけれど、わくわくすることを考えるときの高揚感はまた、特別のものだ。

あした会う友だちとも、あたらしく始めることを相談しにゆくつもりです。
彼女とはもう、二十五年ほどのお付き合いですが、いつまでもあたらしいことにチャレンジしていける関係でいたいと思う。
あー、楽しみだ!


きょうはすっかり長くなってしまいました。
いつもお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

また三日後にお会いしましょう。



2016年1月24日日曜日

泅戯



一、
きのうは久しぶりに泳ぎに行きました。
水の感触と、全身を使っての運動がびっくりするくらい気持ちよくて、しばらくはまりそうです。
そのお蔭で筋肉痛が酷くて、昨日は死ぬほど眠った。
今朝は寒さも手伝ってなかなか起きれず、起きたら起きたで体中が痛いし、食欲も旺盛だし、満腹になったらなったで眠たいしで、ぼんやりな一日でした。
お仕事のミス率が上がっていないか心配。


二、
寒中見舞いの葉書の挿絵を描きました。
時間がなくて枠線の絵はコピーさせて貰ったんだけれど、色は一枚一枚塗りました。
椿に白雪の絵です。明日じゅうに、全部出せると思う。


三、

なんだか、
 一日ずれている感覚。
日曜日なのにお仕事に行くから分からなくなる。
暫く忙しい、あと二か月ほどはお休みが不定期だし不安定。

けれど、寒さには敗けていないつもり。


四、
そういえば、プールの帰りにまわり道をして、久しぶりに行くパン屋さんでパンを買いました。
最近ずっと食べくらべをしているクロワッサンと、米麹のフィセル。
どちらも美味しくて感動しました。どうしてパンって、こんなに美味しいんだろう?
夜はこれまた久しぶりに、大好物のたらこパスタを手作りしたんだけれど、高カロリーダメ!と思いながらもマヨネーズと青のり、すこしだけめんつゆをかけて食べたところ、もう、たまんない、死ぬほど美味しくて、たぶん、ここに存在しているわたしは、既に一度死んでるんじゃないかと思います。

成仏し損ねてまだ現世にいる亡霊ごっこ。
誰か付き合ってくれない?


五、
思いついたままに、ちょこちょこ詩のようなものを書いている。
お得意の、莫迦みたいな言葉遊びが歌詞を書くリハビリに丁度良くてとてもエキサイティングです。
歌になると良い。ならなくても別に良い。

お仕事からの帰り道、マスクとストールでぐるぐる巻きになっているその下で、適当なジャズのスキャットを大声で歌いながら自転車を漕ぐ。
寒さと体力のなさのお蔭で息が切れる。
『なにかとなにか』、『どこかとどこか』の際(きわ)まで行ってしまいたいのかもしれない。それもひとりきりで。

そんなことを思ったり、思わなかったりする、
一月の、いちばん寒い日です。
息は真白。

思うように歌えなくて悔しいから、きっとまだまだなんだと思う。


六、
チヨコレイトがあればある分だけ食べてしまう。
いつそチヨコレイトの海に溶けてしまいたい。

(そのしあわせの中で溺れて静かに死んでいきたい)


七、
好きなことを好きなようにしているひとに勇気を貰う。
自分と比べてしまったり、真似出来ない、と塞ぎ込むときもあるけれど、

そう、周りのひとが気になるときは、誰とも会わなくてよくてよ。
誰とも話さなくて、よくてよ。
大丈夫、ここには自分しか居ない。

わたしも、好きなことを好きなようにしようと思う。
その為には静寂が必要だ。
こんな風に言葉を紡げば紡ぐ分、確かに薄れていくものもあることを知っている。
ただ目的を持って為している事だから、矛盾を責めないでいようと思う。
(此れは此れである種の快楽を伴っているのです)

やれやれ、なんのこっちゃ。


八、

胃が重い。




九、
息が出来なくなって初めて、息をしていたことを思い出す。
呼吸ひとつひとつの深さを感じて、はじめて普段の呼吸の浅さを思い知る。

何もかも忘れるということ。
わたしでありながら、わたしでなくなるということ。
じぶんを識るために、じぶんを忘れるということ。

水の中で泳ぐということ。
そういうことかもしれない。


十、
ふと手にした、掃除の本だと思って読んだ本が面白かった。
フランス人の著者から見た、日本人の行動や風習や文化の描写が興味深かった。
禅寺で修行をされたこともあるそうで、禅宗の考え方も取り入れながら、掃除という行為そのものについて考え直すような内容でした。
具体的な掃除の方法も載っていて勉強になるので、もうすこし読み込みたいなと思う。

最近やっと、一冊の本を何度も読み返す習慣が出来てきました。
やはり一度読んだだけでは見落としている言葉や、理解できていない文章などが多いものなのだなあと、すこし反省。
でもそうなると、あんまりたくさんの本を読めなくなっちゃうよね。
それはそれで寂しいような気もする。
(最近猛烈に村上龍の『歌うクジラ』が読みたいんだけれどどういうことでしょうか)


十一、
やりたいことがまた増えてきた。欲張り。
塩素で肌が荒れ気味なのを如何にかしてからにしようね。



空白を恐れず、虚無を恐れず、変化を恐れず、自分自信を恐れず、
他人を恐れず、日常を恐れず、乖離を恐れず、永遠を恐れず、
孤独を恐れず、怠惰を恐れず、逸脱を恐れず、無我夢中を恐れず、
表現を恐れず、軋轢を恐れず、
とどのつまりは強く、強く在りたい。

強くなりたいと願うことと強く在りたいと願うことは、また別のお話し。



虎に喰われる夢を見た。
毎日楽しくて色々なことを忘れてしまいそうになる。

其れは其れで良いのだと思う。



2016年1月21日木曜日

航海



またまた前回のブログをさらっとお休みしてしまって、ほんとごめんなさい。
今回はちゃんと、体調不良というれっきとした理由があるので、どうぞゆるしてね。

三十年近く生きていてもまだまだ自分の身体はわからない部分が多くて、『冬が好きになる』というのと『冬に強くなる』というのはまったく別物なんだなあ、と身に沁みて感じた数日間でした。
つまり風邪をひいていました。

ちなみに、風邪の治し方はあんまりよくわからないけれど、最近やっと風邪の前兆には気付けるようになったぜ。ドヤー
(そこで食い止める方法さえわかれば完全勝利なんだけどなあ)


先週末は母の『いとこ会』に参加してきました。
朝から喉が猛烈に痛くて、これは行けないかも知れない…!と一時は絶望の淵に立たされたのですが、蜂蜜大根という無敵のアイテムに助けられて無事参加。
天候にも恵まれてぽかぽか陽気の中、奈良へ。

久しぶりに訪れた御所は、自然が近くて静かで、とても良いところでした。
昔ながらの田舎のおおきなお屋敷を改装して、木目の名残を残しつつ、床暖房を入れたりアイランドキッチンにしていたり天窓を付けていたりと、ビフォーアフターに出てきそうなとてもきれいなお家でした。
畑で作ったお野菜や果物(干し柿が美味しかった)をいただいたり、御所ですこし有名なお豆腐屋さんの豆乳を使った豆乳鍋をいただいたり。
自分で作った湯葉をすいーっとお箸で掬って食べるのが初体験で、しかもそれをお家で出来るということに感動しました。

お庭で飼っている大和肉鶏(ニワトリの種類)がその日の朝に産んだ卵を、卵かけご飯にしていただいたのだけれど、黄身がとても黄色くて、卵の味がものすごく強くて美味しかった。
この卵でお菓子を作ったらどんなに美味しいだろう…!と思わず思いました。

祖母とその妹さん、八十代のおばあちゃん同士の会話が面白くて楽しかった。
母の従姉妹の皆様もみんな優しくて、もうお孫さんがいらっしゃる方もいて写真や動画を見せてもらったりして、女系家族なのでしゃべりっぱなしの賑やかなのをずっと聞いて楽しみました。
お菓子も喜んでもらえてうれしかった。
久しぶりに大人の人たちとゆっくり会話をして過ごしたような気がします。


その次の日から体調を崩してしまって、母と姉にいろいろ助けてもらったんだけれど、一人暮らしだったら完璧救急車だったなあ、と反省しています。
もうちょっと自分の身体のこと、しっかり知っておかなくちゃ、と思いました。

それにしても、前回の日記に「身体も心も一度ご破算すると良い」と書いたら、ほんとうにその通りになって、なんていうか、体の不調は本当につらかったけれど、結果オーライだな、と。
すこしだけ、よろこんでいる自分がいます。

ちょうど、御所のお家の近くにある高鴨神社に連れて行ってもらって、おみくじをひいたとき、
“冷静に物事を見られないとき。一歩引いた目線で見回せば落ち着きを取り戻せる。新しい発見ができるかも。多くを望まず、今を大切に”
という結果が出て、この数日間身体が動かない状態でいろいろと削ぎ落とされて、以前よりもシンプルな気持ちで物事を見ることができているように思います。


そして今日、お仕事が終わって家に帰ったとき、母が先に帰っていて出迎えてくれたのだけれど、玄関で靴を脱ぎながら、台所仕事をしている母の姿を見て、「いま、どんな風景でも、どんな人間でも、良いものでも悪いものでも、この二つの目をしっかり開いて、しっかり見ていよう」と、強く思いました。

すべての物事は日々、変わってゆく。
昨日と同じ今日なんてない。
家族の姿も、いつか見られなくなる時が、かならずやって来る。
この目も、いつかかならず、見えなくなる時が来る。

当たり前のことなんだけれど、
このことを、まいにち、胸に抱いて生きていようと思いました。


ほんと、まいにち、いろんなことを想わせてもらって、感じさせてもらって、気付かせてもらっています。
何の変哲もないように見える日々だけれど、今日も生かしてもらって、
そして無事に、今日も一日を終えようとしている。
こんなに有り難いことって、ないなあ、と、思います。

なあんて、ちょっと大袈裟かもしれないけれどね~。
それでも、わたしには、いまのわたしには、とくべつ、たいせつなことのように思います。

人生って、ふしぎだね。
ちゃんと神さまはいつも見ていてくれて、
その時々に、必要な出来事や、必要な人を、与えてくれているんだね。

いま、ここにいるのも、ちゃんと理由があるんだね。
あなたに出会えたのも、あなたとさよならをしたのも、ちゃんと与えられたことなんだね。

よかったね、あしたもがんばろうね。


というか個人的には、従姉妹からもらった可愛い水着で早く泳ぎに行きたい!っていう気持ちでいっぱいです。
ただ、胸のパッドが付いていないから、みんなバストトップをどうしているのかが疑問。
(競泳出身の従姉妹は、ありの~ままの~姿みせるのよ~♪だそうです)

私は初心者だし恥ずかしいので、絆創膏を貼ろうと思っています。
体力のなさが見物。わくわく。


あしたは誰かを笑顔にできるかな。

そこに自分が含まれていることも知っているから、
せめて自分は、いつでも笑っていようと思う。





2016年1月15日金曜日

GOHASAN



ただいま部屋じゅう、いや、家じゅうに、あまい香りが漂っています。
キウイとアーモンドのパウンドケーキ、最近お気に入りのブールドネージュ、そしていまはりんごのマフィンを焼いているところ。
今週はとくに、たくさんお菓子作ってるなあ…。
オーブンさんの仕事量、半端ないです。いつもありがとう。

三日前のブログ更新をしれっとサボ…お休みしたことには目をつぶってもらうことにして、いよいよ一年でいちばん寒い時期に突入しかけておりますが、皆様お元気していらっしゃいますでしょうか?
(言い訳をすると、zoozooseeのスタジオがあって夜遅くなっちゃったんだよね~)

わたしは今朝から、背後霊よろしくぴったり背中にくっついている風邪の気配を感じつつ、のどの痛みと連発するくしゃみに負けじと必死です。
十一月に風邪ひいたばっかりなのに…くやしい…っくしゅーーーんん!!!

きょうは職場でうれしい出来事がありました。
先月、データ入力のミス率が一番低かったとのことで、なんと表彰していただきましたー。
おまけに先々月に引き続き、入力速度も上位に入っているらしく、俄然やる気が出ている私です。
プレゼントで、かわいい虎のイラストが描かれた缶に入った飴をいただいたのも、生まれが寅年なのでちょっぴりうれしいです。
(もしかしてそれも調べて買ってきてくれたのかな)

あしたは母親のいとこ達が集まる『いとこ会』なるものに、私も参加させてもらうことになり、そのための差し入れに一日じゅうお菓子を焼いていたのでした。
奈良県の山奥に行けるそうです。
久しぶりに自然の多いところへ出掛けられるのがうれしい。
(風邪が酷くならないといいネ)


さて。
君への気持ちは一旦、ご破算することにしました。
いまのわたしがわたしらしくないということは、こんなわたしに付き合う君を、君らしく、なくしてしまっているのだろう。わたしが、この手で。
そんなことはもってのほかなのにね。

いいんだ、君が自由に、好きなことして、元気に生きてさえいてくれたら。
生きてさえ、いてくれたら。それだけで良い。

ただ、自分の気持ちを、持て余してしまっているだけ。
これくらい、自分でどうにかするから、気に掛けないでほしい。
色々と慣れないことを一遍に熟そうとするから、すこうし無理が出ているだけです。
(一度熱でも出して寝込んで、心身諸共ご破算すれば良い)


家族と暮らして、君のこと、自分のことがよく分かるようになってきました。
他人に教えてもらってばかりいる。自分の内側にいろいろなものを、どんどん溜め込んでいる。
いつ噴火するのだろう、いつ爆発するのだろう、とてもたのしみであります。

行き場のない想いや気持ちが、マグマのように煮え立っている。
寒い寒い冬だから、丁度良いや。


それにしても、この時間におなか空くの、どうにかならないかな?
何日か前まではコントロールできてたのになあ。

(きょうばかりは、お菓子が焼ける匂いのせいにしておこう)


疲れすぎて散文駄文。また三日後~


2016年1月9日土曜日

フィラデルフィア



ちょっとすてきな本に出会えたので、興奮を抑えつつ、ゆっくり、ゆっくり、噛みしめるように読んでいます。
中川ちえさんの、『むだを省く 暮らしのものさし』というエッセイ。
ちょうどいまのわたしが歩いていきたい方向の生き方をされていて、それを丁寧な言葉でしたためていらっしゃいます。

いつも思うのだけれど、そのときそのときで手に取った本は、そのときの自分に合ったものだったり、ヒントになる内容が隠されていたりして、不思議なご縁を感じます。
今回は欲張って七冊も本を借りた。
すてきなお洋服を買ったり、美味しいものを食べたりすることに匹敵するくらい、図書館はこころを元気にしてくれます。
すてきな本に出会えた瞬間の、わくわくした感じ。
いつまで経っても褪せない気持ちです。

お正月から一週間ほど経って、年賀状のお返事をたくさんいただきました。
今年は手描きのイラストのものが多くて、色えんぴつでやさしく描かれていたり、ペンで鮮やかに描かれていたり、版画のものもあったり、お子さんのお写真が載っているものだったり、新年からほっこりと楽しませてもらっています。
わたしも元旦が過ぎてから送ったりと、毎年毎年ずぼらなほうですが、今年は年賀状デザインコンテストがあれば応募したいと思えるくらい自信があって、手前味噌ですが可愛いオサルさんのイラストに向かって、かわいい、かわいいと言いながら書いていました。

みんなお忙しいなか、時間を割いてくれてありがとう。
遠くのお友だちも、また会いたいなと思っています。
今年はまわりが続々と結婚していくから、どうしようかと思うけれど、すくなくなっていく独身の輪でさらに結束を固めて、まだまだ遊んでくれるととてもうれしい。笑

昨日は、zoozooseeというキーボードで参加させてもらっているバンドの、スタジオ初めでした。
ギターの櫻井さんが不在で、ドラム、ベース、キーボードとボーカルという4人で、セッションをしたり、あたらしい曲にチャレンジしたりしました。
ラテンフュージョンのような、早いテンポのジャズをベースにした曲で、テクニックと持久力が必要とされる、とても難しい曲です。
上原ひろみというピアニストのことを教えてもらった。
たまたまスタジオに行くまえ、恒例の差し入れのお菓子を作っているときに、だいすきなCHICK COREAを聴いていたので、イメージは膨らみやすくて良かった。

いつものような手癖だけでなんとかしようとせずに、はっきりとしたテーマを効果的に入れていけるといいな、と思っています。
フレーズもリズムもまだまだ研究中。(いまも聴いている)
基礎練習をしないことには弾きたいメロディ通りに指が動かない…。
(それでも日々のデータ入力のお仕事のおかげで、細かい動きは出来るようになっているけれど、指のまわらないこと!)
練習の成果を披露することができるかどうかは、2月28日、扇町パラダイスでのライブを是非観に来てくださいね。
…よし、いい感じで告知したぞ。

お菓子は今回、ちょっと手抜き、というか、5日の新年会のときに仕込んでいたブールドネージュと、りんごのタルトを作ったときに余ったタルト生地を型抜きして焼いたクッキーに手作りのカスタードクリームとキウイのジャムをサンドした、創作おやつでした。
そうだなあ、こんなにアレンジしたものだと、お菓子というよりは、おやつ、という言葉が似合う。
いつもおいしそうに食べてくれて、そしてあたらしいお菓子づくりの実験台になってくれているメンバーに、毎回感謝です。

ブールドネージュは年末に初めて作って「おいしい!」とご好評いただいたのと、作り方がとっても簡単なので、最近、機会をみては作るようにしています。
5日に作ったりんごタルトは初めてチャレンジしましたが、もっと経験を積まないと、うまく焼けないかもしれない。

今年はいろんな種類のお菓子を作るよりも、ひとつのレシピを自分のものにするまで作り込む、じぶんのレシピを作って、じぶん味のお菓子を作れるようになる、というのが目標です。
もちろん、気になるものはそのときどきでチャレンジもしていくと思いますが、ジャムをくつくつ煮込みながら、「やったことがある」のと、「できるようになる」というのには、雲泥の差があるのだなと気付いて、お料理でもピアノでも何でも、じぶんのものにする、ということに着目していきたい。

日々のなかで、なんとなく、なにかをわかりかけている、つかみかけている。
この感覚を、大切にしたい、と思っています。
ジャムや大好きなミートソースをつくるときのように、たっぷりのおいしい果汁や煮汁を、じぶんのなかに、煮戻していく感じ。
くつくつ、くつくつ、ゆっくりと時間をかけて、いままで手にしたものや出会えたものを、知識として、経験として、じぶんのなかに蓄えていく感じ。

それができるようになるのは、いま、これからしかない、と。
そしてそれが、わたしにとって、理想の三十代の、生き方なのかな、とも、すこし思います。

なんとなく行きたい方向が見えてきて、すとんと落ち着いた、そんな気持ちです。
大きなものごとにとらわれすぎないように、積み重ねることを、大切に。
そのように、丁寧に生きることができると、じぶんを信じている。


たまに胸がくるしくなるのは、何かを食べすぎているのだと、思うことにしています。
ポテチだったり、朝ごはんだったり、誰かさんへの想いだったり。
昔のように相手に想いをぶつけたり、受けとめてほしい、と思うことはすくなくなってきたけれど、ただ、無性に、じぶんの気持ちを持て余すことがある。

そういうときに、ちゃんと、わたしの表現はわたしを待ってくれている。
そう、信じています。
じぶんさえ、じぶんにまっすぐに生きていればいい。
最近はそのように、すこしずつ、自己完結ができるようになってきました。

このままの、いい感じで毎日過ごせるといいね。
毎日がたのしいのは、ほんとうに、うれしいことです。
いつもいつも、まわりに生かされている。
ほんとうに、ありがとう。


美味しいパン屋さんのレポートはまた今度!
(パンのブログを作ろうかと考え中…。)


2016年1月6日水曜日

花売りの回想



手放した掌を追いかけても
もうそこには誰もいなかった
慌てて振り向いた背中に
溜息がひとつ零れた気がした

霞がかった公園の木々は
暖かな冬を愁いて空を見上げた
わだかまりも意味のない沈黙も
太陽のいない白い朝に消えた

見詰められない
想い出の中
あなたとわたし
花を抱きしめて
忘れられない
エンドロールに
恋人はただ
遠く去っていく



去っていくときはただ、何も云わずに、しずかに去っていきたいのだと思う。
彼女や彼もそんな気持ちなら、たいせつにしたいと思う。
私も同じ立場なら、きっとそうすると思うから。

いまはどこにいるのだろう。
みんなどこにいってしまったのだろう。
ここには誰もいない。

祖父も最期には、こんな気持ちだったのだろうか。
みんなどうして、いなくなってしまうのだろう。


こんなにも穏やかな冬の夜なのに、どこかさみしい心の中です。
最近ほんとうに暖かだから、忘れていたけれど、冬はいつもこんな感じ。
さみしいと、さみしくないの、ちょうどあいだらへん。

あしたは美味しいものを作って食べよう。
友人への贈り物を買いに行って、手紙を書いて、図書館へ行こう。
気になっているパン屋さんへ、パンを買いに行こう。
どんどん孤独になっていこう。だってひとりだもの。

それでオッケー。いまはひとりがいいの。
ずっと甘えっぱなしだったから、ひとりでも大丈夫、に、なっていきたいの。


2016年1月3日日曜日

日曜の朝



あけましておめでとうございます。
みなさま、新年いかがお過ごしでしょうか?

大阪は連日お天気にも恵まれ、暖かい日が続いています。
新しい年を迎えたばかりですが、テレビと隔離されているおかげで、そこまで派手派手しい気持ちではなく、地に足が着いたようなどっしりとした感覚で日々を過ごしています。

新年はじめての更新、やはりここはひとつ、今年の抱負などを記すべきでしょうか。
あまり欲張らず、出来ることをひとつずつ、と思っているところです。
それに伴って、おおきな公言も控えているところ。
心の底からやりたいと思えることだけをやりたいし、できたことをできたぶんだけ、自分自身で喜べるといいなと思います。

ブログはひとまず、三日に一回の更新を目標にしています。(ほんとかな…)
やりたいことをたくさん書くといい、と姉に聞いたので、実行して書きだしましたが、案外60個くらいで止まりました。
ほんとは100個書かないといけないらしいので、わたしの欲張りもまだまだレベルが低いのかもしれない。


長いこと連絡をしていなかった友人に、きのう電話を掛けました。
今年結婚するという、お正月からおめでたいお報せを聞けて、とてもうれしかった。
まわりに独身の友人がどんどん減ってきて、私たちは一体誰と遊べばいいのだろうね、と、きょう会った友人と話しました。
私はまだまだ結婚の予定はなさそうなので、いまのうちに彼女とも遊べるだけ遊んでいたいです。
(というか結婚しても遊ぶと思う、遊ばせて)

まだまだ行きたいところややりたいことがたくさんあるけれど、終わりの時間もすこしは意識するようになってきました。
今年三十歳という、非常にきりのいい年齢を迎えるのですが、何事も未熟でまだまだだという感じがあるので、二十歳くらいの新鮮な気持ちで挑んでいければと思います。

ただ、二十歳からの十年間で経験できたことは、かけがえのないことだから、大切にしたい。
終わってしまうことやさよならをすること、別れたり離れたりしてしまうことが、かなしいことばかりではないと、すこしは知ることができたり、好きなひとたちに、好きという気持ちを返すことがすべてではないと、思うことが出来たり、エトセトラ、エトセトラ。
それに加えて、音楽という表現を通して手にすることのできたものは、大切に大切に、これからの糧にしていきたいと思っています。

これから出会うもの、出会うひと、どんなものごとが待っているかはわからないけれど、今年、じぶんで選んで手にするものは、一生のものにしようと思う。
なんて、意気込むと、うまくいくものもうまくいかないから、ゆる~く、ね。

当面のキーワードは、『呼吸と会話(対話)』、『相手の土俵に立つ』、『姿勢を意識する』です。
昨年末からつづきのこともあるけれど、なにも、こころのなかのすべてをあたらしくしないといけないこともないし、じぶんのものになるまで、もうすこし、ゆっくりと。
今年は昨年以上に、時間をかけてものごとと向き合っていくことになりそうです。


友人と会った帰り道、あたたかな夜に包まれながらひとり歩いていて、しあわせだな、と思えた。
何かがあるからしあわせなのではなくて、しあわせと思えることが、しあわせなのだな、と。
まわりにも、じぶんにも、何も求めなくて、いいのだな、と。

そういった、いまのじぶんの身の丈にあった気付きが、最近はたくさんあって、とても心地よく感じます。
そのひとつひとつも、一生のものにしていけるといいな。

だれとも比べなくていい。
そんな環境に自分を持ってこれたこと。
去年の私に、ひいてはそれを決断した、一昨年の私に、ご褒美をあげたい。

きっと、いま、ゆっくりと過ごせる時間、すべてがご褒美だから。
ひとつずつ、味わいながら、楽しんで、生きてゆきましょう。


相変わらずのんびりな私ですが、本年もどうぞよろしくお願い致します。