2015年9月9日水曜日

さみしさには名前がない



すっかりご無沙汰してしまいましたが、みなさまお元気でしょうか?
誰だい、8月は更新するなんて言っていた奴は。
約束を守らないと、狼女になっちまうぞ(残念ながら少女という年齢ではない)。

言い訳をするならば、私生活で色々なことが有りすぎて、
未だに追いつけていない部分もあるのですが、
ほんとうにこの一ヶ月、大変だったんですよ。面白かったけど。

大変、っていうのは、大きく変わる時期なんだなあと、
改めて体感した一ヶ月でした。

詳しく書いていくと一日仕事になりそうなので、大きなトピックスだけ残すと、
・祖父の初盆がとても印象に残ったこと
・影野わかばさんと会ったこと
・病気マサノリさん主催のキャンプに行ったこと
・もう会えないと思っていた、久しぶりの人と再会したこと
・セッションイベントに遊びに行って酔っ払ってえらいことになってしまったこと

などなど。
その間に失恋したりいろいろあったんだけれど(笑)、全体的に楽しく過ごさせてもらっています。


この一ヶ月で、たくさんの人との交流がありました。
完全に初めましてなのにも関わらず、ひょんなきっかけで深みのあるお話をさせてもらったり、
第一印象でピンときた、素敵なお姉さんに出会って楽しく過ごさせてもらったり、
今までお知り合いだった筈なのに、不思議な巡り合わせでいろんなお話ができて、
それまでまったく知らなかった新たな一面を発見したりして、
すごく面白いし、刺激をもらっているなあ、と。

二十年親交のある友人とも久しぶりに長電話をしたり、
わかばさんと4月ぶりに再会して、また大切な言葉をたくさんもらったり、
3年ぶりくらいに会う人と、昔みたいにくだらない話をして過ごしたり。

ご無沙汰していた人から連絡をもらって、また会いたいねと言ってもらえたり、
家族と他愛なく過ごす時間も、大切だと思えるようになったり、
そういった出来事も、しっかり心の栄養になっています。

変な話なんだけれど、最近は、『桜重奏の升あけみ』や『ワニのいる生活のなす子』としてではなくて、
割と生身の自分に近いスタンスで人脈が拡っていく感覚が新鮮で、楽しいです。

肩書きや役割にとらわれないで、そのときに自分が興味を持った人と過ごすこと。
案外不得手なことだったのかもしれないですが、その拙さも楽しんでいる自分がいます。
人と交わることで、今まで知らなかった自分に出会っていくことも、
ただの人間としてありのままの存在としてぶつかっていくことも、
臆病だからまだすこし怖いけれど、だんだんと慣れていけたらいいなと思います。


話は変わりますが、最近は、孤独について考えています。
いままで、自分のなかにあるさみしさは、誰かとさよならをしてしまったことで出来た空白のなかにしか存在しないものだと思っていて、
ずっとそれに囚われているということは、ほんとうの意味で、
その誰かから離れられていないということなのかな、と思っていたんだけれど。

どうやらさみしさにはもうひとつ、生きている限りひっそりとそばに寄り添う孤独感というものがあって、
(もしかすると死んでからも存在するのかもしれないけれど、死んだことがないのでわからない)、
そのさみしさは、多分、どんなに愛する人に抱きしめてもらっているときでも、一緒に暮らしてずっと側に居たとしても、
一生消えないものなんじゃないのかしら、という気がしています。

そしてそのさみしさは、決して消えることのない痣のようなもので、
お化粧で隠したって、上からタトゥーを入れたって、そこに存在し続けているという事実は変わらなくて、
消したり埋めたりするんじゃなくて、うまく付き合っていくしかないのかな、と。
そしていつの日か、さみしさと真正面から向き合って、
どこへでも一緒に遊びに行ってくれる親友にまでなれるといいなと思います。

けっこう時間はかかりそうだし、気付くのが遅い気もするけど、
気付けただけまだまし、ということにしておこう。笑


もし孤独と仲良くなれたなら、意味もなくいろんな人に甘えたり縋ったり、
必要以上に誰かを好きになることもなくて、
それによって不本意に誰かを傷付けるようなことも、なくなるのかな。

それともこの性分は生まれ持ったもので、
死ぬまでずっと続くものなのだろうか?
オーマイガー。


長く降る雨の所為で、変なこと考えてしまうねー。
はやくお日さまの顔が見たいな、洗濯物が乾かない。

九月も不定期更新でよろしくお願いします。


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