2015年11月9日月曜日

告白



きょうはとても生ぬるい感触の空気で、なんだかまだ秋の終わりのような、春のはじまりのような、冬なんて知らんぷりして季節が通り過ぎてしまったような、そんな気候でした。
雨もまるで冬に降る雨とは思えないほどやさしい温度で、不思議な心持になった。

あちこち探しまわって、沢山悩んだ甲斐もあり、やっとこさ靴を買いました。
①たくさん歩けて
②素材が良くて
③長年飽きないデザインのもの
という、我儘満載な条件をすべてクリアした革靴。
悩みに悩んだ甲斐あって、とても可愛く思っている。はやくソールを貼り付けて、外に出たい。
今夜は枕元に置いて一緒に眠りたいと思います。

靴は気に入るものを見付けるのにいつも非常に苦労するんだけれど、気に入ったら割と長い間履くほうだと思います。
冬支度のために出してきた黒い革のロングブーツも、もうかれこれ七、八年近く履いている。
あの時も買うまでにうんうん悩んだなあ。

下北沢に住む友人宅に泊めてもらったときに、革のお手入れの方法を教えてもらってから、革製品を育てることが楽しくなって、シーズンの初めと終わりはわくわくしながらお手入れをしています。
何年かして靴底と生地の間が剥がれてきてしまって、毎年修理をしながら履いているけれど、さすがにそろそろ底がすり減ってきました。
だいぶ革も伸びてきたし、すこしひび割れが気になるので、ブーツも二代目を探してもいいかもしれない。

たくさん思い出の染み込んだ大切なブーツなので、限界まで履き潰したい。
まだもうすこし、一緒にいろんなところに行こうね。


数日前に、云わなくてもいいことを人に云ってしまって、すごく落ち込んだ。
ちょうど昔描いた絵や日記やなんやらを片付けていて、なんとなく目を通していたら、ちょうど十年前の日記が出てきて、その頃となんにも変っていない気がして悲しくなった。
あそこまで無茶苦茶じゃないとは思うけれど、同じことをいつまで繰り返すのだろう、と。

本当に、死ぬまで、変わらないのだろうか?
同じように大切なひとを、自分の手で、失ってしまうのだろうか?

そう思ったときに、もう誰も失いたくないと思っている自分がいることに気付いた。
こんなにも、何もかもを手放して、真っ白になりたいと、強く思っているのに。
でもこれは、別方向に引っ張って私を引き裂くような、相反する感情ではなくて、うまくいえないけれど、生きたいのと死にたいのが同じ、という、もともとはひとつの意志にから生まれるもののような気がします。

結局のところ、どちらも執着の表れなのかしら。
大体に於いて、他者への関心があるときは、自分から逃げているときのような気がする。

もっと深く自分の中へ潜っていきたい。
ひとりになりたい。もっと、ひとりでいたい。
でも、ひとりでいたくない気持ちも、おなじくらいこころを支配している。
できれば、その両方を認めてあげたい。
不器用な自分のことも、立ち止まっている自分のことも。


十月の週末に描いていた、鉛筆のほうの絵が完成しました。
仲の良い友達を勝手にモデルにして模写をしていて、思った以上に本人に似てしまったので一応本人に報告したら、SNSのアイコンに使ってくれたみたいです。
はずかしいやら、うれしいやら、描いた絵を使ってもらう、って、こんな気持ちなんだなあ。


個人的には首の血管と掌の皺を描くのがたのしかったです。
つぎは植物を描く予定です。
人魚の絵も引き続き完成に向けて描いていきたい。


絵は本当にいい。
静かになれる。

今週、もとい今月はすこし、夜更かし気味になりそうです。



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