2015年1月5日月曜日

春の小夜



小倉の家で、祖父と過ごす、最後の夜です。

大晦日から明日までの一週間を九州で過ごしているのですが、
毎日、気付いたり、思い知ったりすることの連続で、
想像していたよりもはるかに実の詰まった日々でした。

思うことがたくさんありすぎて、
いまはまだ言葉にできないです。
そしてたぶん、きっと、
言葉にする必要もないのかな、と思います。

じぶんのすべてをつかって感じたことを、
じぶんの人生に生かしていく。

今年の幕開けを、ここで過ごすことができて、
ほんとうによかった。
それだけです。


あした、大阪に帰ります。
大阪の排気ガスも大概だけれど、
花粉情報のようにさらりと天気予報でPM2.5の情報が流れる、
北九州は、そんな土地です。
地図で見たら、中国、ほんとに近いもんね。おとなりさんだもんね。
祖父は肺が弱いので、心配です。

帰ったら、すこし走ろうと思います。
運動不足を解消するために、散歩と言って外出すると、
退屈で外出したのではないかと祖父が心配して電話してくるので、
(それでも一応、祖父が横になって休んでいるタイミングを狙っている)
走ったり、身体を動かしたりするのは、大阪でもできることなので、断念しました。

とても思いやりがあって、やさしい祖父。
祖母との愛らしいやりとりに、
幾度、こころを癒されたことか、と思います。


中学生の時に両親が別居して以来、
十年間、父方の親族とはほぼ交流がなくて、
このままじゃいけないと思い立ち、父と姉と一緒に帰省したのが三年前でした。

その次の年も、父と二人で帰省をして、
年賀状を出し合ったり、小包を届け合ったりして、
ああ、こうやってすこしずつ、
会えなかった時間を取り戻すことができればいいなあと、
そう思っていた矢先に、祖父に癌が見つかったのが今年の春でした。

悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
いまでも、わたしには何ができるのか、わからない。
こうやって、となりで日々を過ごしても、その答えは見つからないままです。

ひとりで祖父母の面倒を見ている叔母も、ほんとうに、大変だと思います。
もう何十年も、祖父母のそばで生きてきたひとです。
それはもう、頭が上がらないほどの、すごいことだと思います。

祖父母と叔母を見ていて、わたしも、
じぶんの両親が老いたときのことを考えるようになりました。
そういう心の準備というか、覚悟ができたのも、
今回帰省して得たことだと思います。

じぶんのルーツに想いを馳せたり、
これからの生き方や先の人生を考えたりと、
ここでしかできない体験ができて、ほんとうに、よかったです。


今年は、沈黙するということを、おぼえよう。
知る、ということを、もういちど、おぼえよう。
知性と静謐。
それがこころのキーワードです。

ただ、行動する、という点に関しては、
ことしは、やりたいことをなんでもやってみる、
そして、まず、じぶんの力でやってみる、
というのがキーワードかなと、思います。

具体的なことは、また改めてお知らせしていくかと思います。
二月の中ごろに、そのひとつがもう、決まっている。
気負いすぎず、自然体で、いられますよう。


きょうは長くなってしまった。
また大阪に帰ったら、お会いしましょう。
読んでくださって、ありがとう。
おやすみなさい。


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