小倉の家で、祖父と過ごす、最後の夜です。
大晦日から明日までの一週間を九州で過ごしているのですが、
毎日、気付いたり、思い知ったりすることの連続で、
想像していたよりもはるかに実の詰まった日々でした。
思うことがたくさんありすぎて、
いまはまだ言葉にできないです。
そしてたぶん、きっと、
言葉にする必要もないのかな、と思います。
じぶんのすべてをつかって感じたことを、
じぶんの人生に生かしていく。
今年の幕開けを、ここで過ごすことができて、
ほんとうによかった。
ほんとうによかった。
それだけです。
あした、大阪に帰ります。
大阪の排気ガスも大概だけれど、
花粉情報のようにさらりと天気予報でPM2.5の情報が流れる、
北九州は、そんな土地です。
地図で見たら、中国、ほんとに近いもんね。おとなりさんだもんね。
祖父は肺が弱いので、心配です。
帰ったら、すこし走ろうと思います。
運動不足を解消するために、散歩と言って外出すると、
退屈で外出したのではないかと祖父が心配して電話してくるので、
(それでも一応、祖父が横になって休んでいるタイミングを狙っている)
走ったり、身体を動かしたりするのは、大阪でもできることなので、断念しました。
とても思いやりがあって、やさしい祖父。
祖母との愛らしいやりとりに、
幾度、こころを癒されたことか、と思います。
中学生の時に両親が別居して以来、
十年間、父方の親族とはほぼ交流がなくて、
このままじゃいけないと思い立ち、父と姉と一緒に帰省したのが三年前でした。
その次の年も、父と二人で帰省をして、
年賀状を出し合ったり、小包を届け合ったりして、
ああ、こうやってすこしずつ、
会えなかった時間を取り戻すことができればいいなあと、
そう思っていた矢先に、祖父に癌が見つかったのが今年の春でした。
悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
いまでも、わたしには何ができるのか、わからない。
こうやって、となりで日々を過ごしても、その答えは見つからないままです。
ひとりで祖父母の面倒を見ている叔母も、ほんとうに、大変だと思います。
もう何十年も、祖父母のそばで生きてきたひとです。
それはもう、頭が上がらないほどの、すごいことだと思います。
祖父母と叔母を見ていて、わたしも、
じぶんの両親が老いたときのことを考えるようになりました。
そういう心の準備というか、覚悟ができたのも、
今回帰省して得たことだと思います。
じぶんのルーツに想いを馳せたり、
これからの生き方や先の人生を考えたりと、
ここでしかできない体験ができて、ほんとうに、よかったです。
今年は、沈黙するということを、おぼえよう。
知る、ということを、もういちど、おぼえよう。
知性と静謐。
それがこころのキーワードです。
ただ、行動する、という点に関しては、
ことしは、やりたいことをなんでもやってみる、
そして、まず、じぶんの力でやってみる、
というのがキーワードかなと、思います。
具体的なことは、また改めてお知らせしていくかと思います。
二月の中ごろに、そのひとつがもう、決まっている。
気負いすぎず、自然体で、いられますよう。
きょうは長くなってしまった。
また大阪に帰ったら、お会いしましょう。
読んでくださって、ありがとう。
おやすみなさい。
0 件のコメント:
コメントを投稿