2015年1月1日木曜日

山鳩が死んでいる



新年あけましておめでとうございます。
みなさま、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?

わたしは北九州は小倉に帰省してあたらしい年を迎えました。
大晦日の夜からとても冷えて、今朝は雪のお正月でした。
テレビを見ながら諸事を片付けたり、
雪の降る中、年賀状を出しに行ったりして、
のんびりと過ごさせてもらっています。

余命幾許ない祖父と、
いっしょに過ごすのが最後になるかも知れないお正月。
いろいろ思うところがあります。

家族の関係性、親を想う気持ち、
じぶんのまわりの人々だったり、
とてもいろんな気付きが、たくさんあります。
漠然と、何年もかけて、理解していくのだろうな、
と思うことも、とてもたくさんあります。

善悪だけでは解釈できないものごと。
既成の概念に規制されていては見えないこと。

じぶんはなにを、えらんでいくのだろう。
どんな人生を、あゆんでいくのだろう。

まだまだ、これからだなあ、という気持ちが強いです。

当たり前のことなんだけれど、
ご先祖様や血のつながりは、
ほんとうにたいせつにしなくては、と改めて思った。

いままではそんなこと、とくに思わなかったのですが、
今回帰省して、いろいろなものを見て、
じぶんの視点が変わってきているのをすごく感じる。
容量がふえた、というか、想像力がついた、というか、
あたらしいものの考え方ができることが多いです。

それは、ほんのすこしの、
気持ちの余裕からくるものなのかもしれない。


すこしずつ、変わろうとしています。
それはじぶんがこころから望んでいること。

ありがたく受け止めて、しっかり咀嚼して、
血と肉と骨にさせましょう。


それで思い出しましたが、
今年からものすごく、健康志向で過ごそうと思っています。
大阪に戻ったら青汁を飲む予定だし、
毎週運動することにしているし、
じつは九州に、ランニングシューズも持ってきている。

そして、昨年末くらいから、
お化粧をあまりしないで、ほぼすっぴんでいるようにしています。
昨年あまりにも肌荒れがひどく、その痕がたくさん残っているのですが、
こころのどこかで、お化粧をしたら隠れるし、と慢心している部分があり、
そのせいで、いつまでも素肌がきれいにならないのでは?
と思ってのことです。

夏くらいには、ファンデーションなしの肌になれたらいいなあ。
うん、まだ22時くらいだけれど、もうそろそろ寝ようかな。
(もちろん、お肌のために!)

ブログも、毎日は無理かもしれないけれど、
帰省中の間くらいは、なるべく更新したいと思っています。

いままで得たものをたいせつにしながら、
つぎの形へ昇華させられるような、そんな一年になると思う。
わくわくすることの種は、あたためはじめている。
はやく、春になって、花を咲かせられることが、できますように。

不束者ですが、
末永く、あたたかく見守っていてくださると幸いです。


本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


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