2015年3月24日火曜日

3/24の、にっき。


療養中のことを記した、覚書。パート6。


・3/24 怪我から6日め

運動不足、ダメ!と思い立って、朝からラジオ体操にチャレンジしました。
もちろん腰を曲げる動作は一切できなかったけれど。
すこしだけ、体が生き返るのを感じた。

そこまでお天気ではなかったのですが、晴れ間が見えていたので、
母にお布団を干してもらって、すこしリフレッシュできました。

この日もぜいたくに、音楽とふれあう時間を与えてもらって、
ワニの『わるい夢が去るまで』をはじめ、
『でんでん虫のレース』『陽炎』を、ギターで練習しました。

楽曲のよさにほれぼれしつつ(オイオイ)、
ワニバンドのみんなのすごさを、あらためて感じて、
そしてみんなの、ワニに対する愛情の深さを、とても感じた。

うまく言葉に出来ないのですが、
この曲に、よくもまあこんなにいいギターだったり、ベースラインだったりをつけてくれて、
よくもあんないい演奏で、いっしょになって、
ワニのいる生活の音楽を、表現してくれたものだなあ、と。

おおもとは、西岡くんの考えたものが基本になっているんだけれど、
そこから、たとえばひとつの和音を弾くにしても、
どういう気持ちで、どういうタイミングで腕を動かして弾くと、
こんなふうに音が出るんだ、と、よく研究してくれているな、と感心ました。

みんな、やっぱりただものじゃないな。
おもしろいやつら、ばっかりです。

そんなメンバーといっしょになって、ライブをしたり、
音源に参加してもらったり、していただなんて、
なんて恵まれた環境にいたのだろう、と思いました。

いま、みんなそれぞれに音楽の活動を続けていて、
また復活したときにいっしょに音を奏でたとき、
もっとすごいことになるんだろうな。

それが、ものすごく、ものすごく、楽しみで仕方ないです。
わたしも負けてないで、もっといろんなこと、
吸収して大きくなっていきたいと、思いました。

ほんとうに、まいにち、
ありがたい発見の連続です。


その日の夜中、ふと目が覚めて、
母と従姉妹が話す声で眠れなくてしばらくしていたら、
ものすごい頭痛と胸のモヤモヤに襲われて、
いそいでお薬を飲みました。
しばらく寝つけず、いろんなことを考えてしまった。

このまま眠ったまま、あしたのあさ、
目が覚めない可能性があるんだなあと、体で感じて、
おそろしかったけれど、とてもたいせつなことだと、思いました。

死にたくない、死ぬのがこわい、というより、
死んでたまるか、って思えたのは、ひとつの財産のような気がします。
そしてそれよりも、いまそう思うだけじゃなくて、
いつ死んでもいいようにしておかないと、と思えました。
まだまだ、この世にたくさんの、心残りがある。

がけっぷちに立たないとわからないこと、
失いたくないものとか、こころから会いたいひと。
なにが大切で、なにをおそれて、なにを守りたいのか。

そういうものがはっきりと見えて、貴重な体験でした。


そして答えはもう、わかりきっているのにね、と思った。
明日死ぬとしたら、一番会いたいひとは誰なのか、ということくらい、
わたしはちゃんと、知っていた。

それを自覚できただけでも、十分だと思った。
おおげさだけれど、この日、
いままでの人生を生きてきた意味があるとまで感じた。

それくらい、たいせつなものに、
あなたはもう、なってしまっている。

化石のように抱いた気持ちは、胸のおくで、
かけがえのない光を、やさしく放っている。

だけれど、もし、たとえ昔のように、
あなたがわたしに手を差し伸べてくれるとしても、
いまはまだ、わたしはわたしと向き合って、
いろいろなことに、けじめをつけるべき時なんだということ。

わたしはちゃんと、知っていますよ、
ありがとう。


そんなことを想いながら、しずかに眠りにつきました。


つづく。

0 件のコメント:

コメントを投稿