2015年10月2日金曜日
善と悪
最近、浄土真宗に興味があって、開祖である親鸞について書かれた本をすこしずつ読んでいます。
昔の言葉で書かれているものを難しい言葉で解説しているものが多いから、
だいぶわかりにくいなー、っていう印象を受けていたんだけど、
いま読んでいる吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』という本がものすごくわかりやすくて、
内容はもとより、そのわかりやすさにびっくりしています。中学生でも読めるんじゃないかな。
浄土真宗は、それまで一部の人(お坊さんや偉い人)たちに限られて伝達されていた仏教を、
一般の人たちにもわかりやすく、付き合いやすく、みんなが信仰できるようにした宗教で、
今までは苦しい修行をしたり自分を窮地に追いやったり、
善い行いをたくさんすることでしか、浄土へは行けませんよ、というのを、
いやいや、念仏を唱えれば、誰でも浄土へ行けますよ、と、
仏教をオープンでウエルカムな雰囲気にしたものだと思っています。
(かなりざっくばらんな説明だけど)
親鸞さんも初めは修行をしていたんだけど、その当時は貧しい人のほうがたくさんいて、
みんな苦しみながら生きていて、楽になりたい、死んでからもしんどいのはもうイヤだ、
だから浄土へ行きたいよー、っていう人が多かったにも関わらず、
仏教の教えが限られた人のもので、なおかつ辛い修行を乗り越えた人しか浄土へ行けないなんて、おかしいんじゃね?
そもそも仏教ってのは、みんなを救いたがってんじゃね?と、違和感を感じたそうです。
だから、限られた人だとか、修業とか、善い行いとかじゃなくって、
阿弥陀如来(仏さま)は、みんなを救いたがっているから、
心から信じて、一生に一度でも思いを込めて念仏をとなえると、
自然と浄土へ行けますよー、という風に、教えを広めたんですね。
細かいことを言うともっとちゃんとしてるんだけど(当たり前)、
親鸞さんの教えは、宗教のはずなのにちょっと哲学や思想の部分があって、
知れば知るほど魅力的で、わたしは割と好きなんです。
その親鸞さんの考え方の中に、善い行いをするくらいなら、悪い行いをしたほうがいい、というのがあって、
その言葉の意味だけで捉えるとちょっと「えっ?」て感じなんだけど、
要は、誰かのために、「良い!」と思ってやったことは、
そう思った時点で善い行いではないよ!っていう意味だそうです。
そして、誰かを救うことで自分も救われたい、なんて、思っちゃダメ!とも、言っています。
まとめると、「誰かのため」にすることで、「自分」を救おうと思ってはだめですよー、
そう思って何かするなら、悪いこと(「誰かのため」じゃないこと)をやったほうが、まだマシ。
「自分がそうしたくて」やったことで、「誰か」が「自然に」救われたら、
それでオッケーじゃん、というような考えです。
きょう、ちょうどその部分を読んでいて、きのう書いた、
やさしさへの違和感のヒントになりそうだなあと思ったのでご紹介しました。
そもそも、やさしさと善行は違う。
でも、勘違いしやすいものなのかも知れないな、と。
わたしは、誰かのために何かするのが好きなほうなんだけど、
でも、なんかちょっと違うな、嘘くさいな、と自分でも感じたり、
後からそのひとの本音を聞いたりして、間違ったことしちゃったなあ、
やっちゃったなーと思ったりするのが多々あります。
親鸞さんの言うとおり、誰かのため云々と言いつつ、ちゃんと向き合ってみると、
あ、これ、ほんとうは自分が救われたいんだな、と思うこともたまにある。
善悪だけに偏った若い解釈は喪いましょう、ということです。
去年の夏に作った『菩提樹』っていう曲の歌詞にも、ちゃんと書いてあるよ。
話は逸れるけど、思い返せば、
じぶんの歌は、いつでも自分のことを知っていてくれるのに、
わたしが馬鹿だから、いつも失くしてから気付きます。
そういうのも輪廻かー、と、思わないこともない。
(案外、仏教ちっくな歌詞が多い)
と、長くなっちゃったので、きょうは此処までです。
親鸞さんの教えで、すごく好きなのが、もうひとつあるんだけど、またいつか。
もうね、iPadちゃんで入力してるから、速度が遅くて遅くて…。
そしてやっぱり、文章の構成力もだいぶ落ちてるな、リハビリしだして正解だ。
きょうもお付き合いくださって、ありがとうございます。
あしたはどんなこと書こうかな。くだらないことがいいな。
2015年10月1日木曜日
やさしさに包まれたなら
さっきから、へんてこな風が吹いて居る。
秋の夜なのに、夏の昼間の様に生温い、しかも、かなり強い風です。
なんだか落ち着かないのは、気圧の所為かな。
今日から毎日ブログを書くことにしました。
先月の更新回数があまりにも酷かった(たったの2回!)のと、
今月は『まいにち、すこしずつ、を積み重ねる』ことをテーマにしてみようと思い立ったからです。
他にも幾つか、毎日実行を心掛けようと思っていることがあって、
『歌を一曲歌う』ことだったり、『楽器と触れ合う』ことだったり色々ですが、
無理せず欲張らず続けて行きたいと思います。
やー、この一ヶ月、逃げた甘えた。
ほんと、どん底まで落ちたなあ、と。
底辺という意味ではまだまだ下の方に居るとは思いますが、
もうこれ以上、逃げられないぞ、と。
いつまで見ないふりする?
いつまで他人に縋る?
辛いことから一生逃げ続けるなんて不可能だから、と自分を戒めて、
じゃあ、此処から這い上がってやろうじゃん、と、今日はやっとこさ思えました。
逃げたって、また後で同じ苦しみが、もっと大きくなって返って来るから、
甘えて孤独を薄めたって、後からもっと辛くなるだけだから。
そう教えてくれたひとが居る。
そのひとは、いまの私と同じような経験をしたことがあって、
苦しんで苦しんで、乗り越えたんだろうと思う。
そのひとは私に、決して手を伸べないんです。
ほんっっとに甘やかさないんです。自分でも言ってたけど。
寧ろいつも結構きつめに突き放してくるんだけど、
甘えたの私にとったら、いまは多分、それくらいが丁度良い。
厳しい言葉の裏にも、「あんたなら"自分で"如何にか出来るでしょ」、って言われて居る様で。
私にも、強い強い彼と同じ場所まで行く力が在るんじゃないかと思ってしまえる。
自分の足で、そこまで行ける様な気持ちにさせてくれる。
でも決して、「"独りで"如何にかしろ」とは、云わないんだよね。
甘えずに頼ったときは、ちゃんと力を貸すよ、って暗に言ってくれているようなこのニュアンス、伝わるかしら。
そこがやさしいな、と思います。
故意にそうしている訳じゃないから、ほんとわかりにくいけどね。
すこしずつ感じ取れる様になれて嬉しい。
シャツの裏表気にしないで着るような奴だけどね。
やさしさの本質とはなんだろう、って考えると難しくて、
最近はそうやって厳しくしてくれるのが、何よりやさしいのかな、と思ったりします。
今迄やさしさだと感じていたことが、実は上辺だけだったことも、よくある。
そして、上辺だけのやさしさは、どこかしら冷たさを感じることが多い。
それはもしかしたら、目に見えるやさしさというものが、
ほんとは自分の事しか考えていないが故の行動だったり、するのかも知れない。
じゃあ人は、どうして人にやさしくするのかな?
やさしい人だと思われることで手に入れたい何かがあるのかしら。
自分のやさしさは、どんな性質なんだろう。
客観的に眺めることは出来るのかしら。
よくわからないけど、そんなことを思ったり。
ヤサシサ、ムズカシイ!ニンゲン、フクザツ!
さっきより、風の音が激しくなってきました。
なんか今夜は寝付けなさそうだな〜。
とりあえず、お休みなさ(´-ω-`)…zZ乙
2015年9月30日水曜日
A Case of You
今日で長かった九月も終わりますが、
まだまだ孤独とは、お友だちにはなれそうにないです。
まあ友人に倣って、二年くらいかかる、とでも覚悟しとこうか。
随分昔、友人に教えてもらったJames Blakeが好きで、
Enough Thunderというアルバムを特に気に入って未だに繰り返し聴いています。
そこに収録されている中に『A Case of You』というとても美しい曲があって、
英語だからどんな意味の歌詞かも知らないんだけどずっとずっと好きで。
きょうも聴いていて、相変わらず胸にぐっとくるから、興味本位で歌詞を調べてみたら…
自殺行為でした。
こういう曲は傷心中に聴くものじゃないね。
Joni Mitchellの原曲も、淡々とした中に静かな孤独があってよかったです。
興味がある方は調べて見てね。(メールでの送信なので、映像が貼れない)
でもやっぱりJames Blakeのヴァージョンが、最高すぎて死んじゃうな。
どんな国の言葉で歌っていても、気持ちが伝わってくる曲ってありますね。
言葉の意味がわからないのに、感情が言葉を超えて飛び出しちゃうような。
好きな歌い手さんの中だと、James Blake、Edith Piaf、Sarah Vaughan、
最近だとNina Simoneとか(しっかりハマっている!笑)、
他にもたくさんそういう力を持つ歌手がいると思うけれど、本当に凄いなと思います。
逆に外国の方から聴いて、日本人の歌手の中にも、言語を超えて何かを伝えられる人もいるんだろうか。
もしいるとしたら、誰なんだろうな。美空ひばりとか、ちあきなおみとか、越路吹雪とかかな。
そのような歌を、もし死ぬまでに歌えるとしたら、それは本当に本当に素晴らしいことだろうな。
前回の日記から、またまたたくさんのことがありすぎてありすぎて、
なんだか穏やかにゆっくり過ごしたいのに、なかなかそうはいかないみたいです。
まだ手放せていないのか、そういう星の生まれなのかはわかりませんが、
若干へとへとになってきている感は否めない。あれ?今年、まだ三ヶ月あるよ…?
本当に静かに暮らしたい。
執着から解脱したい。
本当に何もしたくない。
と思うこと自体が静への執着と言われれば、もはや返す言葉もないんだけれどね。
九月、ほんとに長かった。
長月の名は伊達じゃなかった。でもいろんな人に会えた。
思わぬ人と思わぬところで再会したり(ドナドナの松尾くん、和田くんと、茶屋町で会った!)
連休中は半年振りに会う友人と心温まる交流もできたし、父親の家にも行ったし、
幼馴染とも久しぶりに会えたし、今日は二年振りに会う人やそのお子さんとも会えてとても和んだ。
全体的に楽しかったり、やっぱりちょっと、疲れたりもしました。
最近、話しているときに気分の浮き沈みが激しいと感じるときがあります。
すごく楽しくお喋りをして、楽しかった気持ちだけは残っているのに、
会話の内容を覚えていなかったり、曖昧な返答をしていたりするときがある。
まだ人と会うべき時期じゃないのかもしれないし、
たまたま人に会うのには向かない日だったのかもしれない。
そういうときは、何年も付き合っている友人と、
何もせずにだらだら話せると、ものすごおおおく、リラックス出来て良いよね。
忙しかったり、遠くに住んでいたりでなかなか会えないときもあるけどね。
なるべくそういう友だちは大切にしたい。
そんなこと考えたことなくて、ずっと一緒のトーンで居てくれる友だちのこと、
あんまり大切にできていなかったかも、大切にできていなかったなあ、と反省しています。
でも最近は反省することが多くて落ち込みがち。
お酒の失敗も多かったしね。なんだか恥ずかしい思いもしたしね。
とりあえずリハビリ(何のだ)に、十月からまた毎日ブログを更新していきます。
九月で学んだけど、ちゃんと目標的なものを決めないとやらない性質のようです。
(ちなみに九月、更新回数増やすと言いながら二回しか書いてないからね。八月より少ない)
ボリュームの目盛が0か100しかない女、升あけみ、こと、なす子、こと…
いまは誰なんだろうね。いまは私、私でしかない。
それなのに、いまが一番、自分がわからない。
何者でもない私。私がそれを望んでいた筈なのにね。
あっれ〜??おかしいな〜、蘭ねえちゃ〜ん??みたいなね。
ちーん。
超絶個人的かつ駄文、相変わらず何処となく暗めのムードですが、
(もともとそういう人間なので仕方がない)、
明日からどうぞ一ヶ月、宜しくお願い致します。
2015年9月9日水曜日
さみしさには名前がない
すっかりご無沙汰してしまいましたが、みなさまお元気でしょうか?
誰だい、8月は更新するなんて言っていた奴は。
約束を守らないと、狼女になっちまうぞ(残念ながら少女という年齢ではない)。
言い訳をするならば、私生活で色々なことが有りすぎて、
未だに追いつけていない部分もあるのですが、
ほんとうにこの一ヶ月、大変だったんですよ。面白かったけど。
大変、っていうのは、大きく変わる時期なんだなあと、
改めて体感した一ヶ月でした。
詳しく書いていくと一日仕事になりそうなので、大きなトピックスだけ残すと、
・祖父の初盆がとても印象に残ったこと
・影野わかばさんと会ったこと
・病気マサノリさん主催のキャンプに行ったこと
・もう会えないと思っていた、久しぶりの人と再会したこと
・セッションイベントに遊びに行って酔っ払ってえらいことになってしまったこと
などなど。
その間に失恋したりいろいろあったんだけれど(笑)、全体的に楽しく過ごさせてもらっています。
この一ヶ月で、たくさんの人との交流がありました。
完全に初めましてなのにも関わらず、ひょんなきっかけで深みのあるお話をさせてもらったり、
第一印象でピンときた、素敵なお姉さんに出会って楽しく過ごさせてもらったり、
今までお知り合いだった筈なのに、不思議な巡り合わせでいろんなお話ができて、
それまでまったく知らなかった新たな一面を発見したりして、
すごく面白いし、刺激をもらっているなあ、と。
二十年親交のある友人とも久しぶりに長電話をしたり、
わかばさんと4月ぶりに再会して、また大切な言葉をたくさんもらったり、
3年ぶりくらいに会う人と、昔みたいにくだらない話をして過ごしたり。
ご無沙汰していた人から連絡をもらって、また会いたいねと言ってもらえたり、
家族と他愛なく過ごす時間も、大切だと思えるようになったり、
そういった出来事も、しっかり心の栄養になっています。
変な話なんだけれど、最近は、『桜重奏の升あけみ』や『ワニのいる生活のなす子』としてではなくて、
割と生身の自分に近いスタンスで人脈が拡っていく感覚が新鮮で、楽しいです。
肩書きや役割にとらわれないで、そのときに自分が興味を持った人と過ごすこと。
案外不得手なことだったのかもしれないですが、その拙さも楽しんでいる自分がいます。
人と交わることで、今まで知らなかった自分に出会っていくことも、
ただの人間としてありのままの存在としてぶつかっていくことも、
臆病だからまだすこし怖いけれど、だんだんと慣れていけたらいいなと思います。
話は変わりますが、最近は、孤独について考えています。
いままで、自分のなかにあるさみしさは、誰かとさよならをしてしまったことで出来た空白のなかにしか存在しないものだと思っていて、
ずっとそれに囚われているということは、ほんとうの意味で、
その誰かから離れられていないということなのかな、と思っていたんだけれど。
どうやらさみしさにはもうひとつ、生きている限りひっそりとそばに寄り添う孤独感というものがあって、
(もしかすると死んでからも存在するのかもしれないけれど、死んだことがないのでわからない)、
そのさみしさは、多分、どんなに愛する人に抱きしめてもらっているときでも、一緒に暮らしてずっと側に居たとしても、
一生消えないものなんじゃないのかしら、という気がしています。
そしてそのさみしさは、決して消えることのない痣のようなもので、
お化粧で隠したって、上からタトゥーを入れたって、そこに存在し続けているという事実は変わらなくて、
消したり埋めたりするんじゃなくて、うまく付き合っていくしかないのかな、と。
そしていつの日か、さみしさと真正面から向き合って、
どこへでも一緒に遊びに行ってくれる親友にまでなれるといいなと思います。
けっこう時間はかかりそうだし、気付くのが遅い気もするけど、
気付けただけまだまし、ということにしておこう。笑
もし孤独と仲良くなれたなら、意味もなくいろんな人に甘えたり縋ったり、
必要以上に誰かを好きになることもなくて、
それによって不本意に誰かを傷付けるようなことも、なくなるのかな。
それともこの性分は生まれ持ったもので、
死ぬまでずっと続くものなのだろうか?
オーマイガー。
長く降る雨の所為で、変なこと考えてしまうねー。
はやくお日さまの顔が見たいな、洗濯物が乾かない。
九月も不定期更新でよろしくお願いします。
2015年8月12日水曜日
Summertime
思ったより更新が開いてしまいましたが、私は元気です。
ラップにはまったり漢方を飲み始めたりしているうちに立秋を迎えて、
暦の上ではもう秋、みたいです。ちょっとさみしいね。
先週はラップを聴きすぎてちょっと頭が可笑しくなってしまいましたが(笑)、
今週に入って一転、なぜかジャズばかり聴いています。
ラップを聴いていたのは何となく、“言葉”が足りなかったのかなあ、と思ってみたり。
インプットする情報の多さにとりあえず満足したので、
すこし落ち着いたところかも知れません。
すこし落ち着いたところかも知れません。
ジャズは、先週末に読んだ『サラバ!』に出てきた、
Nina Simoneをいろいろと聴き漁っています。
本に登場したのは『Feeling Good』という曲。
この曲ももちろん素晴らしいんだけれど、Nina Simoneは個人的にはピアノ演奏に魅力を感じていて、
私のすごく好きなジャズナンバー『Summertime』も演奏されているのがありました。
この曲の冒頭で、ピアノを弾きながら何となくハミングしている声が聞こえるのが、ほんわかしていて好きです。
『Summertime』は調べれば調べるほどいろんな人が演奏していて、
私の大好きなジャズシンガー、Sarah Vaughanも歌っている(しかも映像つき!!)みたいで、
久しぶりにYouTubeですが歌声を聴いて鳥肌が立ちました。
所々、ハウリングを起こしているんだけれど、その都度アドリブしたりして、
仕草や表情でも魅せるというか、ステージに立つ人だなあという感じがしてすごくいいです。
声をここまで自在に操れることや、音域が広いにも関わらず、全部を自分のものにしていることにも感動するし、
この人じゃないと出せない、憂いの世界観、というのが、本当に素晴らしいと思います。
ジャズの歌手だとBillie Hollidayも大好きで、彼女も『Summertime』を歌っているのですが、
可愛らしい感じで、これはこれでBillie Hollidayにしか歌えないなという感じ。
歌手にとって己を知ることは、とても大切なことなのだなあ、と、改めて思いました。
Sarah Vaughanは『Lovers Concerto』が多分一番有名だと思うのですが、
私は彼女の歌うスキャットがものすごく好きです。
『Crasy and Mixed Up』というアルバムの『Autumn Leaves』が最高にかっこよくて、
最初に聴いたときに、あの有名な『枯葉』という曲だと気がつかなかったくらいです。笑
これもYouTubeにライブ映像があって(Wynton Marsalisと競演している!)、
こちらのほうが若干多めに原曲の面影を残しています。笑
トランペットとの掛け合いがすごくお茶目で、途中、歌うと見せかけてひっかけて歌わなかったり、遊び心がたくさん見えて面白い。
Wynton Marsalisが苦笑いしてるのもかわいいです。
Wynton Marsalisが苦笑いしてるのもかわいいです。
調べたらほかにも、スキャットに特化した曲はたくさんあって、
(『Scat Blues』とか『Scattin' The Blues』、曲名がもう!)
そういうのを延々と観ていたら一生お家に引きこもれそうでちょっと怖い。笑
あれ、Nina Simoneについていろいろ書きたかったのに、
Sarah Vaughanへの愛が勝ってしまった…。
Nina Simoneはまだ掘り下げ途中なので、これ、と思うものにであったらまた書きます。
そうそう、西加奈子さん『サラバ!』の感想もついで(ついでかよ!)に。
本好きの友だちに貸してもらって読んだのですが、かなり面白かったです。
最初、分厚いし、上下巻あるし、文字がびっちりだから、読むのにいったいどのくらい時間がかかるかしらと危惧していましたが、
二日間、たったの8時間で一気に読み終えてしまって、それゆえに衝撃度合いも結構大きかったように思います。
ちょうど家族への接し方だったり、自分と自分を取り巻く環境との距離感というか、
そういうものにちょっと疑問や違和感を感じていて、
この本を読んだからすっきりした、という訳ではないんだけれど、
いろんな人がいていろんな人生があるんだなあ、と思ったことはとても励みになりました。
まあ、もうちょっと、思ったことはいろいろあるんだけど。笑
最近ちょっとね、ぼやっとしていて、
なんだか、なにをするにもすっきりしない感じ。
遠くに住んでいる友だちも、ちょっとした家族のごたごたがあって忙しそうにしているし(そのおかげでぜんぜん構ってくれない…笑)、
20代後半って、家族のこと、じぶんのこと、なんだかいろいろあるんだなあ、と。
とりあえず、家を出る準備は着々と進めています。
ほんと、今年に入って、春、怪我をしつつもいろいろなものにけじめをつけて、
家にあるたくさんの物やお洋服とさよならをして。
つまりは思い出と、けじめをつけられるようになった気がします。
その時を、静かに待とう、と思う。
怪我をしたのも、大変だったけれど、たいせつな回り道だったと思うし、
普段では気づけないこと、たくさん気づくことができた、
なかなか体験できない貴重な時間だったと思っています。
(もちろん、できれば怪我なんかしないほうがいい。笑)
なかなか体験できない貴重な時間だったと思っています。
(もちろん、できれば怪我なんかしないほうがいい。笑)
おかげさまで、今月からは立ち仕事のパン屋さんにも無事復帰ができたしね!
まだまだ週に1回、5時間程度だけれど、やっぱり以前できていたことが少しずつできるようになると、
そしてそれが目に見えていることだととてもうれしいです。
とりあえずは、あんまりYouTubeばっかり観ないように!笑
週末は祖父の初盆で九州に帰省です。
お盆に新幹線乗りたくない…(帰りが自由席しかなかったの…)
こわいよ〜!!
みなさまも暑気中りにはどうぞお気をつけ下さい。
ではまた。
みなさまも暑気中りにはどうぞお気をつけ下さい。
ではまた。
2015年8月3日月曜日
染み
先週末はカワイコちゃんとデートしてきました。
いかにも女の子が好きそうな美味しくてかわいいパンケーキを食べに行って、
そのあと近くのイベントスペースで開催されていたダンスバトルのコンテストを観覧して、
カフェでまったりしたのち本屋に行きスーパーに行って日用品を買う、という、
非常に自由気ままな休日を過ごさせてもらいました。
はじめてああいうストリートダンスを見たんだけど、なかなか面白かったです。
ステージの上で、二組のダンスグループが技を見せ合うんですが、
身体能力の高さにまずびっくり。笑
同じ人間とは思えなくて、とてもエキサイティングでした。
ダンスの種類は、たぶんブレイクダンスになるのかな?
ちょっと感じは違うけど、こういうのを延々と(一応制限時間は決まっている)繰り広げ合っていました。
この映像は1人vs1人だけど、見ていたコンテストは5人〜8人くらいのグループ同士が戦って、
グループ内で同じ振り付けをしたり、組体操みたいに踊っている上に乗っかったり飛んでいったりしていて、
それも見応えがあって興奮しました。
だいたい20代くらいの男の子が多かったんだけど、
決勝戦まで残ったチームに一人だけ10歳くらいの男の子がいて、
体が軽くて柔らかいぶん、大人にも負けない絶技を披露していました。
女性のダンサーもいてすごくセクシーだった。すっかりファンになった。
バトルだから、お互いに技を見せ合って、相手を煽るのも見てて楽しかったです。
相手が出してきた技を、「オレもできるぜ、」って実際にやってみたり。
ミュージシャンでいうと、ソロ合戦みたいな感じなんだろうか?
なかなか音楽の世界で、ステージの上で直接競い合う、っていうのは見かけない気がします。
また機会があればぜひ見てみたいです。
てゆうかぜひお友だちになって腹筋触らせてほしい。
ダンスバトルから派生して、なぜかラップバトルのことを思い出して、
久しぶりにいろいろ見てみたらなかなか面白かったです。
ラップバトルというのは、即興で(おもに相手をディスる=悪口を言う)ラップを作って、
それの応酬の繰り返し、なんだけど(ぜんぜんうまく説明できない。笑)、
ちゃんと韻を踏んでラップになっているか、とか、
相手の発言をつかんで、ちゃんと会話になっているか、とか、
リズムに乗れているかとか、噛まないかとか(笑)、声がかっこいいかとか、
いろんなところから言葉をどれだけ持って来れるかとかが勝敗の基準のはず。
(と勝手に思っています。笑)
映像見たほうがわかりやすいのかな??
こちらは教えてもらったお気に入りラッパー、MC☆ニガリくんです。
高校生同士のラップバトル。字幕があって、初心者にやさしい。笑
この試合の、延長戦のほうで、ニガリくんがゲジ眉〜って言われたことに、ちゃんと即興で歌詞を作って返答してるのに対して、
2ターンめで右の子はしっかり返せてない感じがするから、勝負はニガリくんの勝ち!
ということだったんじゃないかと思っています。たぶん(笑)
あともう一人、これも教えてもらったんだけどR-指定っていうフリースタイルのラッパーさんも好きです。
このひとはおすすめの映像がいっぱいありすぎて貼るのが大変なので、
もしご興味あるひとは調べてみてください。
個人的には、MCバトル集1〜3がかっこいいと思います。
だいたい髭ロン毛のほうがR-指定さんです。笑
ダンスとかこういうのって、謎にテンションあがるんだよね〜。
即興とか“生”っていう感じがあって、とても好きです。
とくにラップは短時間に詰め込む情報量が半端じゃないので、頭の回転が速い人じゃないとできないことだし、
「白装束」を「しろしょうじょく」と言ってしまう私からすると、
滑舌がいい、というのもかなりの尊敬ポイントです。笑
実のところ、ピアノでも即興演奏とか、その場限りのセッションが好きだし、
思い返せばギターも歌も、即興でやるの、好きだったなあ、と、今ふと思い出しました。
桜重奏のときは、同じメンバーで『もぬけのカラーズ』っていうインプロバンドを組んでライブしてたなあ。笑
案外、即興で言葉を出したりギターを弾くとき、
じぶんのなかから何もかもがすっぽり出ていく感じがして、
空っぽになって気持ち良かったり、します。
どちらかというと絵を描いているときに似ているかも知れない。
絵を描くのは“静”で、終わりがないし、ひたすら自分自身と対峙するのでオーディエンスもいないけれど、
ライブは“動”で、終わりもあるし、周囲の反応や環境、雰囲気からもダイレクトに刺激を受けて、
それをそのまま取り入れて瞬時に表現していく、という“生”の要素が強い気がします。
一度だけ、わにバンドの練習で、即興でギター弾きながら歌ったの、
あれもすごく気持ちがよかった。
またギターも弾きたいし、歌も歌いたいです。
ギターだけでも、歌だけでも、誘ってください。
ラップは無理だけど。笑
しばらくこのビーボーイブーム(?)は続きそうかも。
毎晩いろんなラッパーさんの映像を観ていて若干夜更かし気味なんだけど、
いつもなぜかここに帰ってくるんだよなあ、なんでなんだろ?
R-指定さんとR藤本の、Rつながりなんだろか???(そんなはずない)
おまけ
この記事、途中まで書いて眠ったら、見事にもぬけのカラーズの夢みました。笑
桜重奏サーティーン企画のイベントの前座で出演した(笑)んだけど、
このとき、西岡君が昔やっていた『金輪際』も出演してくれてた気がするな。どうだっけな。
思ったよりも声がブリッコ。笑
2015年8月1日土曜日
ライン
夜半に目が覚めて考え事をしていたら眠れなくなって、もうすっかり明るくなってしまった。
お酒を飲むと、どうも眠りが浅くて困ります。
ちなみに麦酒だとそんなことないのはなぜでありましょうか。
昨日は綺麗なまんまるお月様が出ていました。
昔、欠けていく月を並んで見上げたように、一緒に眺めたいなと、ある人を誘ったのだけれど、
見事に振られてしまって、お月様を見ながらひとりでお酒を飲んでいたらものすごーく淋しくなってしまって、
いまこの関係のうちに会いに行きたいなんて、軽々しく思った自分の浅はかさにも嫌気が差して、
久しぶりに酔って泣きながら寝ました。うぷ。悪酔いというやつかしらん。
酔っぱらいのツイートにご返信くださったお友だち、どうもありがとう。
お返事が長くなりそうな予感がしたので、ここでお返事するね。(笑)
上ちゃんの言ってた、他人のライブを見ていて、
勝手に伴奏つけちゃうの、ほんとによくあるんです。
ある意味、職業病のようなものなのかしら?と思ったり思わなかったり。
でも脳内演奏(?)する事例には、じつは2パターンあって、
あんまり好きじゃないバンドさんを見ていて、
「ああ、わたしだったらこういうフレーズ入れるのにな」とか
頼まれてもいないのに勝手にプロデュースするパターン(笑)と、
めちゃめちゃ好きなバンドさんを見ていて、
あたかも自分がそのバンドに参加しているような気分で、
勝手にフレーズを入れて勝手に気持ち良くなっちゃうパターン(笑)。
脳内演奏をしないために、よーへいへいが言ってたように
わざと大きく踊ったり動いたりするときもあるし、
何も考えられなくなるくらい酔っちゃうときもあるけど、
わたしの場合、酔うと今度は勝手に歌うorコーラスする、っていう、
周りに一番迷惑なオプションが発生するので(笑)、要注意です。
どのパターンも、他人に触発されて自分の表現をしたくなっちゃった結果なのかなと思うけれど、
楽器を弾いたことのない人は、あんまりそんな衝動は起こらないのかしら。
絵を描いたり、物を作ったりして自分を表現する人はどうなのかしら。
あと、想像だけど、おっきいアーティストとか観に行ったときも、
そんな勝手にフレーズつけたりはしなさそうです。B'zとか、GLAYとか(笑)。
手の届く身近な存在だから、同調しちゃう、というのもありそうですね。
って、何をこんなにも深く考察してるんだ、
でもまあちょっと常々気になってたことでもあるので。
お付き合い、どうもありがとう(笑)。
もうひとつは、過去の恋愛に対する、女性と男性の考え方が違う、みたいな話で、
いろいろ思うところがあって、それについてもすこし考えてしまいました。
もし本当に、女のひとが恋を上書きしていくいきものなら、わたしの中で答えは出ているなあ、とか、
若かりし頃、別々に保存する君のことが理解できなくて、滅茶苦茶言ったなあ、とか。
そもそもあの言葉、誰に向けて言った言葉だったんだろうか、とか。
朝になって、月が消えても、この気持ちは消えてくれなくて、
その事実がわたしを苦しめます。
こんなにも、ずっとずっと、好きなんだ、と。
すこし前までは、一緒に生きるのを諦めたり、離れていくこと、
精神的にも距離的にもさよならすることばかりを考えていたけれど、
最近、やっぱりまだ好きなんだ、って認めてから、だいぶ楽になりました。
別れを選んだんだから、別々の道を歩かなくちゃ、と思って、
ほかのすてきな人を好きになる努力もしたけれど、できなかった。
今更だな、とか、未練じゃないの、とかを、自分で思うのはやめにしました。
失ったものの大きさに気を取られるんじゃなくて、
いま、この自分のこころなかにあるものを、ちゃんと見つめられるようになりました。
とりあえず、まだ気持ちは君にあるようです。
まあ、ちょっとどうなるかはわからないけど、いまはそんな感じ。
じぶんのこと、やっていく時間だと思って、ひとりで遠くまで行ったり、友だちとの親睦を深めたり、
やりたいことや家族のことと、じぶんの音楽と向き合ったり、
おしりの筋肉や腹筋を鍛えたり(笑)、しています。
ワニの休止もそうだけれど、やっぱり、離れてみないとわからないことって、思った以上にたくさんあるみたいです。
でも、それだけ一生懸命、周り見えなくなるくらい、打ち込めたことがあることや、
何年も好きでいられたひとがいたこと、そのものを、大切にできたら、と思います。
そしてもちろん、それによって出逢えたたいせつな人たちも。
時が来たら、君の気持ちを、ちゃんと聞けるように。
その答えを、ちゃんと受け止めれるように。
もうちょっとだけ、成長できるといいなと思います。
やー、長くなったし、すっかり夜も明けたよ!
きょうはカワイコちゃんとデートしてきまーす!
読んでくれてありがとー。
8月はまた、更新頻度高めになるといいな。
ついでについったーでも、遊んじゃおっかな。
気まぐれですが、お付き合いくださると幸いです。
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