2015年4月21日火曜日

ロボットのくせに


きのうにひきつづき、さみしいきもちに蝕まれている夜です。
さっきまで、お友だちが遊びにきてくれていたから、よけいに。
いまはアフォーダンスからの曖昧の徘徊を視聴中です。
かっこいーなー、ライブ観てみたいなー。

きょう会ったお友だちは、北海道でお世話になったひとで、転勤していまは川崎に住んでいるのですが、
わたしがこんなからだなので、なんとお仕事帰りのおつかれのところ、
わざわざ四ツ谷まで遊びに来てくれました。
いろんなお話しができて、たのしかった。
ふたりとも東京初心者なので、いっしょに地理を勉強しました。


日常のなかに、ふだん会えないはずのひとたちが居るのが、新鮮なような、
なんともいえない、しあわせな気持ちになります。
またすぐに会えるとわかっているから、肩ひじ張らずに、他愛無いことばかり話せるのも良いな。

そうやって、特別だったものが、だんだん時を経て当たり前になってきて、
いつのまにか、日常になってきて、そうして、いままでの世界や触れあってきたひとのことなんて、わすれていくのでしょうか。
音もなく、色もなく、かたちもなくなっていくのでしょうか。

そうして、おなじように、
わたしもあなたの記憶のなかから溶けて消えてなくなるのでしょうか。

なんだか、今夜はとくに、さみしい夜みたいです。
でも、この、だれにもならなくなっていくかんじ、嫌いではない。
なにもなくなるのではなくて、透明になっていく感覚、
わすれないようにしようと思う。

きょうは家のひとが頼んでくれた、ちょっといいお米が届いたので、
あしたのあさがたのしみです。


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