2015年10月10日土曜日

がれきの空



そこに在る筈のものを無いものとして扱うのはこんなにも神経を使うんだなあと、
ただ眼鏡ひとつを無視している私は、今日はとても疲れました。

どちらかというとネガチブではないと思う。
運動後の心地良い疲れに似ている。
だけれどもすこし、消耗もしている。
シチューをフォークとナイフで食べているような違和感。
肉体は疲れている。精神はおかしな次元へ行っている。

本当のことを言うと今日絵を描いているときにあまり集中できなかったのでした。
欲していた、自分との対話は未遂に終わった。
届きそうで届かないもどかしさ。
そこに在るのはわかっているのに、透明白な靄がかかって辿り着けなかった。

雑念の波に襲われて、どの色を選ぶにも迷いがあったような気がする。
でも逆に発見したこともあって、総じてだめなことばかりじゃなかったので、それもまた良しとします。


きょうは何とも言えない躰だなと思う。
心は乳白色の薄い殻に、心地よく納まっている。

躰のことを言うと、この頃は衝動や欲求が全てではなくなって、
一度体験してしまえばわかると思うんだけれど、
物質的な交わりは二の次になって、精神的な交流が一番心地よく感じます。
そして心地よいことが、晴れやかな秋の空のように清々しく気持ち良いことも。

残念ながら肉体に相性というものが存在する以上、
快楽だけを求めれば、別に想った相手でなくても良いのかも知れないし、
興味のある分野や嗜好を拒否し合う関係は悲しいだろうなと思っている。
もちろん一番好きな人とすべてが合致する喜びは半端じゃないけれど、
躰に快楽のすべてを持っていかれると、自分が空っぽになってしまう感覚に陥る時がある。
というより、多分そうなんだろうな。
その感覚が欲しくて故意にそうする時もあるけれど、あんまり健全なことでは無いのだと、ぼんやり思いました。

それもこれも、つい最近、ある友人と精神的な交わりを体感したからだと思う。
三十年近くも生きていると色々、躰自身も知っていることが、沢山増えてくるのだなあと、しみじみ思った。
独り身の辛さも、それと向き合う手段も。


いまの自分が必要としているものは、こころの繋がり、
一朝一夕では築き上げることのできない関係性との交わり。
長い年月、この距離感で関わってきたことが、今日に結びついていると思うと、すべてに於いて感動しかない。

友情や恋愛や一般常識のどれにも照らし合わすことのできない関係性。
今までにない、不思議な気持ち、あたたかな気持ちになれる。

友達以上、恋人以上、家族以上、とは、
自分でもよく言ったものだと思う。

遠くに、そんな心地よい繋がりを持つひとりの人間が生きて存在すること、
心から幸福に感じながら、日々を過ごしています。


今日みたいに、躰がぼんやりしている日には、
そんなことを考えてみました。

ひとりはふたり、ふたりはひとり。
お互いの空を見つめ合う。

お互いの空に浮かんでいる月を、
それぞれの日常から、見上げている。

ずっとそのような関係でいたい。
もしかしたら、交わりも触れ合いも、永遠に必要ないのかもしれない。
それでもいいと思える。お互いがそれを心地よく感じるのなら。


羅針盤が沁みる夜です。
こんな気持ち、初めて生まれる。

はやく、皆に会いたい。
皆に会いたい。



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