2015年10月29日木曜日

植木鉢



ひとを好きになることについて考えています。
きょう話した人との会話の中で、ときめき、っていう単語が出てきたので、ときめきについて考えているところ。
「ひとを好きになる気持ちはとめられない」ということについても、考えているところ。

わたしは、いまここに人間が生きていて、この心臓に血が通っている限り、だれかを好きになることは、きっと止められないことだと思っています。
でも、だれかを好きでいることと、どういう関係をつくっていくかということは、また別の問題で、それに加えて、だれかを100のぶん、好きでいることと、そのだれかに、100のぶん「好き」を伝えることは、違うことなんだと、ようやく最近気づきました。
いままでは、100のぶん好きだったら、100のぶんを伝えることが、愛情表現だと思っていた。

それと最近は、だれかをじぶんのなかで“いちばん”にしない、というのが流行っています。
いままでだったら、想っているひとや、そばにいてくれるひとのことを、じぶんのなかの優先順位の一番上にもってきがちだったし、そうすることが、なによりも良いことだと思っていたし、なんなら、相手にもそれを求めていたところもあったんだけど、あるとき、「それは相手も自分もしんどいな」ということに気付いて。

近頃は、お互いにそれぞれ、お仕事だったり、遊びだったり、お友だちだったり、趣味だったり、家族だったり、その時々で大切にしているものや人生に於いての優先順位が変わるのは当たり前だから、私のことは、トータルのランキングで3位か4位くらいに想ってくれてたら、いいよ、と。
その、いろんなジャンルがあるなかで、“好きな女の子”っていうジャンルの、いちばんに想ってくれていたら、うれしいな、って感じで思っています。
(できたら、そこに芸能人とか女優さんとかは入れないでほしい。太刀打ちできないから。笑)

今年になって、劇的に、恋愛に対する価値観が変わったなと感じます。
でもこのほうが、自分にしっくりくるし、ものすごく心地良いので、気に入っている。

何をいままで、固執してたんだろうね?
きっと、色々とこわかったんだろうなと思う。
大切すぎて、失うことが。
その気持ち、今はわからなくもない。

ただ、もうそんな恋愛はしないと思うし、したくない。
寧ろしたくても、きっともう出来ないと思う。
若さ故の、ひとの愛し方だった。若い時にしかできない恋愛。
だから大切にも思えるし、諸々、感謝もしています。


話は逸れましたが、最近は、恋人とか友達とか恋とか愛とか、いろんな言葉で定義される概念について、もういいじゃん、って思います。
そういうのに拘るから、いろいろおかしくなる。
だから、どんどん、あたらしい関係性をつくっていけばいいと思う。

二人にしかできないこと、二人だからこそ成立すること。
そのひととだから共有できる時間、そのひととだから行きたい場所、そのひととだから交わせる言葉や想い、そのひととだから生み出せるもの。
それをひとつひとつ大切にしていけば、自然と、お互いが心地よい関係が生まれると思う。
それを誰かは愛情というかもしれないし、友情というかもしれない。
または家族のようだというかもしれない。
でも、まわりには好きなこと、云わせておけば良い。
問題は、お互いにとってお互いがどれほど大切かということだけだから。

だから、いまはこの関係を大切にしたいから、あまり好きになりすぎないように(あまり好きな気持を出しすぎないように)気を付けているところ。
相手がほしいぶんだけ、好きな気持ちをあげたいから、いつも最大限に気を付けています。
だけどそれは、流されることはまた違うと思っている。
相手に合わせることをすこし学んだだけ。
いままで如何に利己的だったか、重々身に染みて感じているところ。

ま、なるようになるさ、と、
明日のことも、君とのことも、風まかせ。

これくらいが気楽で良いし、決して手抜きはしていないことを、
自分自身は知っているから、それで良いんです。


っていう、今日はそんな話題でした。どんな話題だ。笑
あと二日で、とりあえず連日のブログ更新は終わるー!がんばれなす子ー!!

本日も長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
おやすみなさい~。



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